歴史・人物伝~関ケ原編⑭「キリシタンが選んだ道」小西行長
歴史・人物伝~関ケ原編の第14回です。
西軍の主力武将の一人・小西行長は、堺の商人の子に生まれ、豊臣秀吉に仕えてからは武将としてだけでなく、実務者としても重用されました。キリスト教に帰依したキリシタン大名でもあります。
行長には加藤清正というライバルがいました。二人は肥後(熊本)を北と南に分けて統治しており、朝鮮出兵でも先陣争いをしたほどです。清正と同等の実力者だからこそ、秀吉も競わせたのではないでしょうか。
行長は、徳川家康に極端な敵対感情を持っていたわけではありません。しかし、家康よりも石田三成との関係が深く、家康に味方した清正への対抗心もあって、西軍の中心的存在になっていったのです。
西軍惨敗後、逃亡していた行長も捕らえられます。キリシタンだった行長はキリスト教の教えに基づき、自害という選択をしません。その結果、首謀者の一人として三成らとともに処刑される運命となりました。
徳川幕府のキリシタン弾圧もあって、行長は影の薄い存在になってしまいますが、ヨーロッパでは行長を主人公にした音楽劇が作られるなど、キリスト教の庇護者として高く評価されたそうです。
関ケ原の合戦には、まだまだ多くの武将がかかわっていますが、ひとまず銘々伝の前半を終わらせていただきます。
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