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味覚過敏。給食が食べられない??という特性【感覚過敏研究所の缶バッチ買ってみた】


幼稚園の保育参観の際、

自分の子どものお友達であろう子が
(コロナのためほとんど関われていない)

何人か、寄ってきて、話しかけてくれた。


その中の1人の女の子が、

「◯◯ちゃん(娘の名前)はね、給食がぜんぶ食べられないんだよ。」
(恐らくほとんどいつも何か残している)


と、教えてくれた。


小学生(支援級)の上の子が味覚過敏で、

夫も幼少期に味覚過敏があり、とてもつらい思いをした事から、

味覚というものは本当に人それぞれで、

多くの人が美味しいと言って喜んで食べるものが、美味しいとは感じられず、食べたいのに食べられない苦しみの中にいる人がいることを知った。


(それは、美味しいよ〜♡と勧められたからと言って、食べられるようになるようなレベルではない)


私からみたら、幼稚園に通う下の子は、
上の子に比べたら食べられるものが多くて、
大丈夫そうかな?

となんとなく軽く思っていたけれど、

"出されたものは全部食べられる"

ことが、偉い、すごい、ハナマル!!
(それ以外はバツ)


と評価される空気というものは、無言のうちに伝わる大きなプレッシャーなのかもしれない。

と、直感的に、ズシっときた瞬間。


「そうなんだね。◯◯ちゃん、がんばって、食べているんだけどね…」

とだけ、答えた。


私は、生まれつき、出されたものを美味しく食べる能力に恵まれた。好き嫌いはほとんどないし、不味いと感じたものも、吐き気がするほど苦しくなる事なく喉を通る。


それって、頑張って、気持ち悪くなる食材を食べることに黙って取り組んでいる子よりも、そんなに、偉い事なのか?


「何でも食べて偉いね」
美味しいものを美味しく食べて褒められる。


小さな頃から、子どもながらに、なぜそんなに誉められる?と疑問だったけれど


今日、何気なく目にしたこのワンシーン、小さな女の子からかけられた一言の中に、いろんなことを感じた。



そして、ちょうどそのタイミングでこんな記事⬇︎にも出会い…。
(感覚過敏研究所なるものを立ち上げた15歳社長のお話をもとに書かれた記事のようです⬇︎)


この記事⬆︎を読み、

体験談を語りシェアするだけで、今、同じような事で悩み、プレッシャーを感じている人たちにとって、支えや救いになるものなんだなぁ、と、感じた。



何でも食べられるのは、えらいこと?

もともと、
いろんなことに敏感で、
食べられないものが多いことは、
そんなに
いけないこと?


何でも美味しく食べられる!
ハッピー♡

それを、すべてのひとに、強要する必要はあるんだろうか。


ひとつひとつ、いのち、みんな違う。
感じることも、味わう舌も。


"当たり前"も、みんな、人それぞれ。



すべてのいのちが
うまれもった凸凹キラキラそのままに
生きられる

そんなのが、いいなぁ。



そんな風に、願っている。



ちなみに、
今、児童発達支援のお勉強中で、

"他者との比較"は、劣等感や自己肯定感の低下につながる可能性が高く、その子本来のもってうまれたやる気や成長を望む場合には、
その子自身の"今"を見つめ、その子の中でどれだけ頑張れたか?(その子の中での比較)に目を向けていく事がとても大切らしい。


食べない事を叱ってなおせるかも?

児童発達支援つながりでいうと、
脳の不快からの習慣化、は脳科学的にはないらしいから、食べない事を叱る、というのは、脳の不快をさらに増やして習慣化を妨げる行為になってしまうかもしれない。
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