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あの頃の稚内・1[1980〜1981年]

「田舎」という単語を見て、思い浮かべる景色は人によって違う。職場の女性は東京下町生まれの下町育ちで、そこはかつて非常に田舎だったと言う。私は北海道の稚内で育ったが、自身が持つ田舎のイメージは同じ稚内市でも沼川や抜海など、もう少し規模の小さい町だ。子供の感覚で、稚内はそこそこ栄えていた都会だった。また、人によってはゲームソフト「ぼくのなつやすみ」的な風景が思い出されるかもしれない。

という前置きだけど、この記事「あの頃の稚内シリーズ」は田舎の定義などは関係なく、親父が撮影した昔の稚内写真がノスタルジックな空気にあふれており、ちょっとこれみんなに見てもらいたいな、という衝動に駆られてモノクロネガフィルムをデジタイズしている。撮影場所が判るものについては大体の位置情報も付記したので、現在の景色との違いを楽しんだり悲しんだり目を丸くしたりと、様々なリアクションを取られてみてはいかがでしょう。


昭和55年(1980年)10月 撮影場所:このあたり

なんだそのポーズは

出だしから私(幼稚園の年長さん)の写真で申し訳ない。これは園からの帰り道ですね。萩見幼稚園というところに通っていました。後ろの車付近に見えるガードレールが、現在もわずかに残っています。


昭和55年(1980年)10月 撮影場所:萩見幼稚園

ねないこだれだ

その萩見幼稚園での昼食後のお昼寝タイムですが、一人だけ満面の笑みが。毎日お昼寝タイムがあったかどうかを全然覚えていないのですが、親父は幼稚園から依頼されて写真を撮っていたのでしょうか。当たり前ですが無許可ではないはずなので、例えば卒園アルバムに載せるためだったとか? でも1980年ならアルバムの写真はカラーだし、ちょっと謎です。

なお現在、萩見幼稚園は建て替えられて別の施設になっていますが、下の写真で確認できる、並んでいるタイヤと正面が特徴的な建物は今も存在しています。タイヤって、なかなか頑丈ですね。

さすがにジャングルジムはないけれど

昭和55年(1980年)10月 撮影場所:このお店

スペースインベーダーではなさそう

店の前に設置(放置?)してあるゲームで私が遊んでいます。フィルムロールの前後の写真から、小学生の頃、駄菓子を買いに友達と自転車でよく行っていた菊池商店のはず。記憶にあるのは改装後の少し綺麗になった店構えですが、この時代はこんなだったかなー。


昭和56年(1981年)2月 撮影場所:不明(栄1丁目辺り?)

ボブスレーは重たいミカン箱も運べて便利

この写真は場所が判りませんでした。スキーの板をボブスレーに乗せて運んでいるということは、おそらく「こまどりスキー場」に行く最中ではないかと思いますが、記憶にある場所をストリートビューで見たところ全然違っていて迷子に。


昭和56年(1981年)3月 撮影場所:不明

これも撮影場所を特定できそうだけど分かりません。遠くに「しんきん」の看板があって稚内信用金庫が見えますが、記憶の中で稚内での高架線の箇所を思い出せず。さらにそれを見下ろす場所からということで、すぐ分かりそうなのですが。あとで親父に訊いてみよう。

※2025年2月9日追記
場所が判りました。前後の写真も確認して、おそらくこの道路から北を向いて撮っていますね。南稚内駅から稚内駅に向かう途中でした。

住宅街を縫うように

昭和56年(1981年)3月 撮影場所:大黒1丁目

兄と一緒に

信号機に交差点の名前がついていると場所が分かりやすいですね。左に見える「旅館 大将」は現在では「ホテル 大将」に変わっています。紙焼きアルバムのメモによると「宝来3丁目まで歩いた」と書かれており、子供の足だと結構時間がかかったのではないかと思いました。普通はバスで行く距離です。

まとめ

親父が撮影した写真のモノクロネガフィルムを、息子の私がデジタイズして再度現像する世代間リレー的なアレですが、引き続きスキャンしていきます。なんせ楽しいもので。


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