人生の暗闇から脱出した私のストーリー
一寸先は闇
想像もしていなかったようなことが起こるのが人生だ。
そう自覚し、わたしは今日を精一杯悔いのないように生きることを心がけている。
そう思わせたのは、今から10年前になるが、元夫が突然死で他界したのを経験したことだ。
それまで夫は普通に元気に過ごしていた。
多少仕事が忙しく残業などもあり、その日は休日出勤だった。
疲労感や、多少の持病はあったが病院にも通いながら、まだまだ48歳。
働き盛りのサラリーマンだった。
当時、わたしは39歳。
娘は小学生6年と中学2年の二人。
あれから10年の時が経ち、
わたしは元夫の年齢を超え、娘たちはそれぞれ成人し、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいる。
その人生の闇を経験した日は土曜日だった。
夫は休日出勤を終え、所属していた野球チームのナイター練習まで楽しんでから19時過ぎに帰宅した。
その日も普通通りに晩酌をしつつ、夕食を食べそして就寝した。
床についてしばらくして、夜中に大きないびきが、隣の枕元から聞こえわたしはとっさに目が覚めた。
普通のいびきではなく、近所にも聞こえるくらいではないかと思うほどのとても大きないびきだった。
身体を揺り動かしても反応はなく、布団をめくりあげ衝撃を受けた。
失禁していると気づいたのだ。
ただ事ではないと、すぐさま119番。
その間ずっと救急隊の方から
「奥さん落ち着いて」
「心臓マッサージできますか!!?」
「こちらから声をかけるので1.2.1.2・・・・」
「救急車が今向かっているのでそれまで頑張ってください!」
どのくらいしただろうか、泣きながら必死だった。
その間に娘たちを大声で起こした。
「パパ!パパ!起きて!」「ねぇ!パパ!!」と言っているうちに
救急車のサイレンが近づいてくる音が聞こえた。
リビングの窓をばぁっと開けて、救急隊がドカドカドカッと足早に入ってくる。
子供たちが眠い目をこすりながら、何があったのかわからず、ただ呆然としている。
とにかくそのまま病院へ。
救急車の中では、受け入れ先の病院を探す隊員、
「落ち着いてくださいね」と声をかけてくれる隊員、
処置をしてくれる隊員の人など
車内は騒然とし、そのまま急いで近くの病院へ向かった。
懸命の処置するも、夫はそのまま帰らぬ人となった。
警察の現場検証
病院ではいろいろと検査をしてもらうが、死因は不明だった。
その後の解剖でも死因はわからなかった。
いわゆるぽっくり病というものだ。
真夜中の救急治療室の前の長いすで、ただただ3人で茫然としていた。
連絡してすぐに駆け付けてくれた私の両親は、わたしたち家族にかけられるような言葉はあまりにも突然のことで、ひとつもかけられるような状況になかったと思う。
しばらくすると警察の方が来て、
「自宅で亡くなったので現場検証をしますので、奥さん来てください」と言われた。
子供たちは両親に任せることにし、一緒に警察の人とわたしは一度家に帰った。
もちろん部屋は出てきたままの状態だ。
パシャパシャと室内を撮る鑑識の人。
警察の人から「亡くなった時の状況を説明してください」と言われる。
何度も同じ質問をされたりもする。
これは疑われているのか・・そう思うような。
でも警察の人は
「自宅で亡くなられた場合、そういう風に質問しなければならないのでお辛いとは思いますが、ゆっくりでいいので答えてください。」と。
そこからは何をどう答えたかもほとんど記憶していない。
どうやって病院に帰っただろうか。。朝も白々と明けるころだった。
そこから警察署に遺体が運ばれた。
警察で泣き崩れた姉
家族がみんなそろったところで警察の遺体安置室で、夫の姉は変わり果てた姿の弟を目の前にして泣き崩れた。
娘たちはわたしの父が、辛いだろうと、配慮して外に出してくれていた。
警察からの
「解剖をしますか?」の問いかけに
姉の夫が、
「してもらったほうがいいんじゃないか?」
特に悪気はないのだろうと思うが、
その時のわたしは、また「疑われているんだ・・・」そう思ってしまった。
このときは、涙も出なかった。
ただただ黙って下を見てうつむいていた。
夏の暑い7月の始まりだったが、室内がとても寒々しかったのを覚えている。
葬儀も終わって、新たな一歩
在職中の死亡のため、葬儀には予想以上の参列者が訪れた。
たくさんの方に、夫は温かく見送っていただき、喪主をつとめたわたしもこの時ばかりは気が張っていた。
ただなんだか映画のワンシーンでも見ているかのような気がした。
火葬も終わり、お骨となって骨壺とお花を祭壇にあげ、
ガランとした家のいつもとは違う雰囲気に、急にさみしさが襲ってきて涙が込み上げて、泣いた。
でも娘たちの前では泣けなかった。
心配をかけたくなかった。
「大丈夫!ママ頑張るから!」
これから娘との3人の生活。
一家の大黒柱を失って、ちゃんと育てていけるかな・・不安で不安で仕方なかった。
頑張ろうと思えば思うほど、襲い掛かる悲嘆の苦しみと、それでもなお何もできない自分への憤りに、しばらく悩み落ち込み、そして寝込み、家族や周りに心配をたくさんかけたこともあり、生活支援も様々な方にお世話になった。
しかし、いつまでもそうしてはいられない。
娘たちを守れるのはわたししかいない!
そう気持ちを奮い立たせ、まずは就職活動を行った。
資格が救ってくれた一筋の光
まずは、求職活動だ。
ハローワークに向かった。
担当の年配の職員の方がわたしの話に耳を傾けてくださり、親身に相談にのってくださった。
「簿記の資格があるからねぇ・・税理士事務所なんてどう?」
税理士事務所・・・!!?
わたしに勤められるかな・・・すごく難しそう・・なんだか厳しいんじゃないかなとか不安だった。
「大丈夫!お母さんなんだから!!お子さん守らないと!がんばって!!」
そして、職員の方はそのときに母子家庭のお母さんを採用すると企業に助成金が入るような仕組みも教えてくださったり、様々な母子家庭のお母さんを支援する制度のことも教えてくださったりと、わたしにとって職員の方からのお話は、大きな今後の原動力となり、いつかその方のように困っている方の支援を行いたいというこのときには漠然とした、でもはっきりとした自分の中で目指す目標のようなものとなった。
翌朝、準備をして早速面接に向かった。
ありがたいことに、即採用のお話をいただいた。
採用の話をいただいたあと、感謝を伝えに担当職員の方へ報告にまで行った。
「あぁよかった!!お母さん!がんばって!」と心から喜んでいただけたことが今でも印象に残っている。
のちにこれが「わたしの「想像していなかった未来」へつながる一歩」となる。
未来への一段目
税理士事務所では給料計算を担当した。
わたしは、それまで給料の明細書を見ることはあったが、見るのは差引支給額だけ。
口座に振り込まれる金額を見て、一喜一憂するような感じだった。
もちろん若いころ働いていた時は、社会保険料や所得税、住民税など引かれていたときもあったが
「高いなぁ・・なんでこんな引かれてるんだろう?」くらいにしか考えていなかった。
税理士事務所の勤務で大変お世話になった先輩がいる。
その方は現在は税理士の資格を取り、都内の税理士事務所で活躍されておりわたしの尊敬する人の一人だ。
その方は、わたしが「税務署」を「税務所」と書いてしまっても、「源泉ってなんですか?泉?・・なんか水でも湧き上がる泉?」なんて話すわたしに、笑いながらも、ほんとに親切丁寧に指導してくださり、その出会いはわたしの人生の転機を支えてくれた方の一人だと言っても過言ではない。本当に今でも感謝している。
その中で目にした健康保険料・厚生年金保険料。
あぁ夫の明細書で見覚えあるけど・・
そうか・・保険証や今いただいている遺族厚生年金とも関係があるということか。
そういった保険料があって自分自身の生活が成り立っている。
税金は国税・地方税・県税・・あぁなるほどそういうことか!!と。
「楽しい!わたしこんなに知らないことがたくさんあったんだ!」
そう感じながら、仕事、そして勉強を日々無我夢中で頑張り、家族の生活の基礎を固めていくために、ひとつずつ積み重ね、家庭を築いていくそんな日々だった。
未来への二段目
そんな私を懸命に教えてくださった先輩は、後にご家族が経営する税理士事務所を継ぐこととなり退職された。
独り立ちができるまでにわたしを育ててくれた先輩が、退職されるまでの間に、引継ぎだけでは不安を感じ、自分でももっと学習が必要だと、給与計算の検定を受けるための勉強をしたり、税や社会保険のこと、リスク管理のことを学ぶためファイナンシャルプランナーの資格を取得するため自分自身でも懸命に勉強をしていた。
少しずつ増えていった知識の「点と点」は、徐々につながっていき「線」となっていく。
またその線は枝を伸ばすかのように広がり、さらにそこから「点」が増え、そして徐々に「線」としてつながる。
その繰り返しをすることで知識の連鎖を感じまた広がっていくのを実感した。
そしてそれは自分自身が未来への新たな一歩を踏み出すための、そして生きていく糧となり、転職の際の武器ともなった。
もっとも、家族を亡くしたときは、悲しみの渦中と、何をどうしたらいいかさえわからない場合が多いかと思う。
少し気持ちの整理ができ、悲しみが落ち着いた頃、相続登記、申告や住民税の納付などがあることを後から知ったこともあり、とても大変だった記憶がある。
このように以前のわたしは、何も知らなかったが、経験から「学び」を知り、学ぶ中で「知識を取得」することを覚えた。
いわばすべてのことにつながるかと思うが、
人生の経験はOJTだ。
年金ひとつにとっても、奥は深く、例えば遺族年金にしても、自分自身は遺族基礎年金そして遺族厚生年金の受給権者とはなったが、必ずしも誰しもが遺族年金が受給できるかというとそうでもない。
当初は年金は老齢年金のことしか頭になかったのだが、
こうした経験から、年金の仕組みをもっと知りたいと年金アドバイザー3級の資格もとり、今後は2級の取得も視野に入れている。
社会保障には様々な制度があり、制度をまず利用できるか、そもそも制度が利用できる対象者なのか、そこが大切なポイントとなることがある。
「こういうのがありますよ?」とはなかなか教えてはもらえない。
なので、いつかわたしと同じように困っている方がいたら、少しでもその一助となれればと、自分自身の目標としている資格が、「社会保険労務士」の資格だ。
想像していなかった未来を今生きている
未来への三段目を、現在わたしは築こうとしている。
それまでの勤務経験から資格を取得していく中で、わたしは過去の自分からは想像もしていなかった未来を今生きている渦中だ。
それまでは関東地方で生活をしてきていたが、現在は東北の沿岸部にある東日本大震災で被災した地域に住み生活をしている。
東日本大震災を経験した街は、同じ10数年の時を刻みながら、徐々に少しずつ復興してきた街だ。
まだまだ震災前の状態には戻れないところもあるが、
それでも企業、そして人々が前向きに懸命に必死に頑張って築いてきた街である。
そんな経験をした街の一助となりたいと活動する、社会保険労務士事務所を営む、現在の夫となる人とわたしはそれまでの知識の線を集めていく中で、知り合うきっかけをいただいた。
わたしは、役場の窓口で直接市民の方とお話することを数年担当させていただいた。
市民の方の「ありがとう」の言葉は本当に心から身に染みた。
昔はわたしが窓口の向こう側にいた人だからだ。
一緒に市民の方と涙を流した死亡届。
新たな命の誕生を手続きする出生届。
ふたりの人生の門出の婚姻届。
退職を余儀なくされて、失意にある退職者の国民健康保険や国民年金の手続き。
そんな方が就職が決まり、国民健康保険を脱退する手続きをする際には、共に喜んだこともあった。
数年そうした仕事に携わり、わたしはまたそこから新たな未来への目標ができた。
そして自分自身でもまだ想像もつかない未来を生きるために。
今後、目標としている社会保険労務士の資格を絶対に取得し、主人の傍らで共に歩みながら、自分自身の経験も活かし、企業そして個人の方の一助となれるよう、経営者また社会保障が必要な方など気持ちに寄り添えるような事務所つくりを目指し、切磋琢磨していきたいと考えている。
築ける(気づける)未来~想像していなかった未来
被災を経験した地で暮らし、さらに深く感じるようになったこと。
それは、当たり前のことだが、未来は誰にもわからないということ。
わたしたちは変わらず明日も同じような日が来て、その日常が当たり前ではないことをつい忘れてしまう。
今日無事に過ごせたことに感謝し、自分自身の未来を描けることを大事にして、未来を築いていくための目標を作ることが大切だとわたしは考える。
たとえ、人生に絶望を感じたときも、その時は暗闇でもふとした瞬間に光が射し、小さな希望に気付くことがある。
もしかしたら、目の前のことに必死すぎるから、小さなことに気づいていないだけかもしれない。
見えていないだけなのかもしれない。
今していることが、とっても無意味なんじゃないか。
そう思っていても、物事に意味のないことはなく、それがいつしか思わぬところで役に立つなんてこともあったりもする。
たとえ、今、頑張れていない自分でも、そのチャンスは人生を歩む道のどこかに落ちていて、それに気づいたとき、そのときの自分では想像もつかないようなパワーがみなぎることがある。
そして、特に自分にとって大切な存在、モノであれ人であれ、それを亡くしたときの痛みほどつらいものはない。
悲嘆の苦しみは、本当に計り知れない苦しみがある。
ただ、自然に時が過ぎていくことと、時間薬が解決をしてくれる。
病気になり健康を失う、人生に希望を失う。
その悲嘆と向き合わなくてはいけないときが誰しも人生の中にはあるが、
「今日は今日」「明日は明日」
今日、幸せに満ち溢れていても
明日、いや1秒先には何があるかわからない。
だが、怖がらず前に進むしかない。
未来が自分を待っている。ひとつひとつ乗り越えていく。
そのひとつひとつ越えた人だけが見える景色。
自分にしか見えない景色を見るために。
一寸先は光か闇か、それはわからないが
だからこそ、「今」を精一杯に!
闇はいつしか光となると信じること。
泣いて、笑って、悩んで、苦しんで、喜んで、悲しんで、怒って、微笑んで。
後から振り返ったときに、
「あの時はこうだったね」と、大切な過去の闇を照らす光となるように。
その経験を、後世の人に伝えられるための、そして大切な現代社会の点が描く輝かしい「未来」の絵があるように。
そして何より自分自身が人生の最期となったとき、後悔することのないように。
想像していなかった未来を歩むために、今を希望と夢をもって歩こう!!