未経験からデザイナーに転職するオタクの退職エントリ
こんにちは。Miyagawaです。
同人誌の制作をしていて、デザインを中心に、企画、編集、校正、設営にも関わっています。
関わったことのあるジャンルは、神のみぞ知るセカイ、ホロライブ、ぼっち・ざ・ろっくです。
本職は半導体デバイスの開発をしており、同人活動でデザインをしていたのですが、この度、転職してデザインを仕事にすることになりました!
アニメ関連業界のグラフィックデザイナーです。
ありがたいことに、希望していた業界に入ることができました。
普通科高校の理系卒、化学系の大学と大学院を出て、メーカーの技術者という理系一色の経歴から、デザイナーへの大転職です。
転職ではありません! 大転職です!
最近流行っている(?)「未経験からデザイナーに!」というやつですね。(別に流行りに乗っかって転職したわけではないんですが……)
せっかくなので、業界・職種ともに未経験からデザイナーになるMiyagawaの経験談をアレコレ書かせていただきます。
すでにnoteにはこの手の記事がありふれていますが、様式美と思ってください。
今回は、退職にともなう最終出社を終えた率直な心境について書きます。
いわゆる退職エントリになるのかもしれませんが、よくある退職エントリとは少し毛色が違います。
これまで僕が見てきた退職エントリや、タイムライン上の退職報告は、何かしら気持ちよさや潔さが感じられるものでした。
意気揚々と次のステップへ進む、前向きな感じ
希望のない職場に見切りをつけた爽快感
そんなものがありました。
しかし、Miyagawaの場合、そんな感覚とは無縁でした。
一言では言い難い、非常に複雑な心境があって、それを整理するための退職エントリです。
誰かに向けて何かを伝えるために書くというより、自分との対話の痕跡でしかないので、以降、常体で失礼します。
とりあえず心境を整理
そんな言葉にも出会ったことがあるが、全然そんなことなかった。
念願のデザイナーになれるワクワク
イマイチ退職の実感が湧かず、月曜にいつも通り出社しそうな感覚
キレイさっぱり引き継ぎをして、仕事が自分の手を離れてしまった寂しさ
他にも色々混ざっていて、これまで経験したことないような複雑な心境。
最寄り駅から家への帰り道、日が沈んだ道を歩いたら感傷的な気持ちになり、家についたら涙が出てきた。
そういえば、退職を知っている同じ部署の人に最後の挨拶をしているときから、なんか胸がいっぱいだった。
布団に入ったらもっと涙が出てきた。
ようやく希望するデザイナーになれる、人生が進捗していることを実感した安心からだろうか?
毎日会っていた同じ部署の人、お世話になった人、よくしてくれた人と、もう会うこともない寂しさからだろうか?
長く働いた会社に居場所が無くなってしまった悲しさからだろうか?
自分で一手に引き受けてきた仕事を、綺麗サッパリ後輩に引き継ぎをして、自分のもとには何も残っていないことへの虚しさからだろうか?
どれも合っているようで、どれも違うようにも思える。
単純明快な単一の理由がなくて、自分自身が解釈に困っている。
少なくとも嬉し泣きのような、ポジティブな涙ではない。
高校卒業のときは涙が出てくることはなかった。
高校生活は楽しかったので名残惜しかったが、大学生活が楽しみだったからか。
大学卒業のときも涙が出てくることはなかった。
大学生活は大いに楽しかったので非常に名残惜しかったし、就職が楽しみってわけでもなかったのに。
そして今回、初めての退職では涙が出てくる。
この仕事が楽しかったわけでもないし、新職場での仕事が楽しみなのに、なぜか涙が出てきた。
今回で涙が出るなら、高校卒業のときにも涙が出ていいはずだし、大学卒業のときには大泣きしていいはず。
なのに、なぜか今回だけ涙が出てきた。
これだけでも十分困惑しているのだが、さらに困惑したことがある。
寝て起きたら何事も無かったかのようにケロッとしていて、その後、同じ感情が湧き上がってくることはなかったのだ。
嫌から嫌じゃないへ
仕事を辞めたくて辞めたんじゃないということは、確かだと思う。
こんなクソみたいな仕事やめてやったぜ! ヒャッハー! ざまあみろ!
そんな気持ちは生まれなかった。
上に書いたのが、積極的退職すれば、今回の退職は消極的退職とでも言うべきもので、
デザインの仕事をやりたくて、やってみたくて、そのためには今の仕事を続けるわけにはいかなくて、それで辞めた。
そんな感覚。
もし体が2つあれば半導体の仕事を続けていたかもしれない。
まさか自分が消極的退職をすることになるとは意外で、入社した頃は、こんな不本意な仕事は一刻も早く辞めてやろうと思っていた。
デザイナーを希望したものの叶わず、仕方なくメーカーに技術者として入ったことから厭世的になっていた。
入社2年目には、いきなり半導体デバイスの開発をしろと言われた。
勤務地が変わって、通勤時間が徒歩10分から6倍の1時間になった。
不遇な貧乏くじだと思ったし、会社から何の説明も無いし、クリーンルームはしんどいし、辞めたくて仕方なかった。
早くデザインの仕事を見つけて積極的退職がしたかった。
会社にも自分の処遇にも良い感情がなかったので、仕事中に上の空だったり、寝不足だったりも珍しくなかった。
自分よりも、もっと熱心に、もっと長く、もっと集中して仕事をしてる人はいっぱいいた。
そんな状態だったのに、いつの間にか自分が取り組んできた開発に愛着が湧いていて、消極的退職になってしまうくらいには、寂しさや名残惜しさがある。
最終出社日にクリーンルームに入ったとき、色々思い出していた。
初めてクリーンルームに入ったときは、うるさくてビックリした。
装置の音、空調の音、真空ポンプの音、冷却チラーの音。
イエロールームに入って出ると、目がチカチカした。
フォトレジストをスピンコートしたときは、その臭いに顔を歪めた。
もうクリーンルームに入ることはないし、この音を聞くこともない。
イエロールームに入った後に目がチカチカすることもない。
フォトレジストの妙な臭いともお別れ。
シリコンウエハを触ることもないし、加工装置や検査装置を扱うこともない。
そう思うと、後ろ髪を引かれるようだった。
いい職場
何の前触れもなく仕事内容と勤務地が変わったことに目をつむれば、客観的に見て、辞めるに値しない職場だったと思う。
給料は高いし、希望した有休がとれなかったことはないし、パワハラもなかった。
ギクシャクした人間関係もなく、モンスターな社員はおらず、みんな温和で物腰柔らかく過ごしやすかった。
退職の意思を告げたときは、快く受け入れてくれた。
お前みたいなやつ、他の会社じゃやっていけないぞ!
転職するなんて、会社を裏切るのか!
こんな、ネットで聞くような常套句は無かった。
むしろこちらが申し訳なく思い、必要以上にペコペコしてしまうほどだった。
ネット上に溢れる、職場での厄介なエピソードとはまるで縁がなかった。
ネット上の書き込みはウケを狙ったネタで、全て虚構なんじゃないかと思うくらいには縁がなかった。
もしかして自分が職場で一番の厄介者でモンスター社員だから、自分から見たら相対的に全員がいい人に見えているのではないかと思うくらいだった。
新しいデバイス作りのために金を使うばかりで、売れるものを一切作らないので、どうやって給料が出ているのか不思議なくらいで、ありがたい御身分であったと思う。
引き継ぎ熱心
退職が決まってからは、これまでにない熱心さで引き継ぎに取り組んだ。
不思議と頭が冴えて集中力があった。
あの感じでずっと仕事できていたら、もっと成果があったかもしれないと思うほどに。
約1ヶ月、引き継ぎ資料を作成しながら、引き継いでくれる後輩に、引き継ぎ会議(という名の仕事に関する授業)や実験レクチャーをした。
引き継ぎ会議は15時間くらいになったと思うし、実験のレクチャーを含めば30時間は超えたと思う。
引き継ぎに熱心に取り組む自分に驚いただけでなく、仕上がった引き継ぎ資料の膨大さにも驚いた。
5〜10年後くらいの展望までカバーしているので腐ることはないはず……と勝手に自画自賛している。
転職経験のある友人から、
「最終出社日は暇を持て余して記念に写真を撮ったり、お菓子配りをした」
などと聞いていたが、とてもそんな余裕はなくて最終日まで引き継ぎや、その他の身辺整理などで忙しかった。
それでもなんとかギリギリ収まったのは、誰に見せるでもなく、一部の仕事で独自に型を作っていたことが大きいと思っている。
具体的には、
実験サンプルにIDを振って加工の履歴を管理したり
実験記録の様式を自分で作って、それに従って全部記録したり
事務的な報告業務をExcelを活用して単純なコピペ作業できるようにしたり
なんであんなにも熱心に引き継ぎをしたのか、自分でもよく分からない。
退職してしまうんだから、手抜きな引き継ぎをして、あとは野となれ山となれでも全然困りはしないのに。
自分の都合で退職して、後輩がそれを引き継ぐのに、多大な苦労をかけてしまっては申し訳ないので、苦労を最小化したかった、それが最大の罪滅ぼしというか、それくらいしかできることがないと思っていたのかもしれない。
仕事の型を作っていたことにも通じることだけど、いらぬ苦労をするのもさせるものも好きじゃなくて、どうやったら苦労を再生産せずにいられるかを考えるクセがあるように思う。
他には、担当した仕事の知見や、今後の発展の見込みやプランなどが継承されず、どこにも残らないのが嫌で、自分が取り組んだ何かを残したかったのかもしれない。
これはすごく研究的で良い理由だと思う。
科学・工学の世界を去るにあたっての集大成のつもりだったのかもしれない。
引き継ぎをする中で、今後の検証アイデアがあれこれ浮かんでくるのにも驚いた。
自分で検証しないことが確実なので、検証の義務から解放されると発想が自由になるのかもしれない。
無責任に浮かんできたアイデアを、引き継ぎ相手の後輩に「こんないいな。できたらいいな。おもしろいしやってみる価値があるのでは?」と無責任に投げた。
ひょっとして研究室の先生ってこんな感覚なのだろうか?
引き継ぎには思いがけない良い効果があった。
想像を超える熱量で引き継ぎをしたことで、取り組んできたことへの愛着を確認できた。
予想を超えるボリュームになった引き継ぎ資料を見返すと、自信になった。
前向きに取り組んでいたわけでもないのに、色んなことを考えて仕事をしていたのだと、気付くことができた。
この仕事について、一番詳しく一番頭を使っていた人間の一人であると思えるようになった。
就活でデザイナーの希望が叶わなかったことで、大学院の研究室にいても、会社に入っても、イマイチ自分の居場所としてしっくり来ていない感じ、本来いるべきではない場所にいる感覚がずっと付きまとっていた。
そんな場所にいる自分があまり好きになれなかった。
でも引き継ぎを通して、最終的に研究をする自分を自分自身で認めることができたんじゃないだろうか?
締めくくり
いきなり半導体デバイスの開発をしろと言われて、関わり始めたときは、デバイスが本当に実現するのか疑問だった。
実現したとしてそこまで需要や価値があるのか?
たとえ技術的価値があって随一の技術の結晶であっても、そこまでする必要があるのか?
市場価値があるのか?
そんなことを考えていた。
しかし退職した今となっては、本気で心の底からデバイスが実現することを願っている。
定期的にネットでプレスリリースなどを検索して、公表されるのを待ち続けると思う。
まあ、これも自分で検証や開発をするわけではない無責任さゆえの楽観視なのかもしれないけど。
個人的な好みや希望を抜きにして、性に合う部分が多い仕事だったと思う。
小さなサンプルを扱ったり
オフィスに実験室にクリーンルームにあっちこっち行ったり
荷物の開梱・梱包・発送、掃除・ゴミ出しみたいな適度な肉体労働があったり
他拠点や他社や外部機関に外出する機会があったり
半導体の中では化学っぽい分野が担当だったり
基礎研究っぽい側面があったり
デバイスが完成しても、まだまだ発展と追究の余地がある分野だったし、続けていれば出世したり、評価されたり、第一人者になったりしたかもしれない。
そういう意味ではもう少し極めても良かったと思える仕事ではある。
辞めるには惜しい仕事だったかもしれない。
可能性がある仕事との関わりを自ら絶つ選択をしたことに後悔してるのかもしれない。
デザインをやることにこだわるがあまり、柔軟性を欠いた愚かな選択だったのではという不安があるのかもしれない。
それでも退職したのは、どれだけ半導体の仕事で成果を出しても、満足しないと思ったから。
成果を出して評価されたとして、そんな自分を皮肉的に受け止めるだろうから。
そして何より、デザインをやってみないと後悔するだろうから。
デザインの世界で通用するにせよしないにせよ、結果を確かめずにはいられなくなったから。
そんなわけで……
半導体、今までありがとう。
デザイン、これからよろしく。
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