センチメンタリスト、ロマンチスト、リアリスト
これまでの記事で、意識と無意識のどちらも大事であることについて述べてきました。今回から数回は、意識をどう使うかということについて、いくつかの手がかりをたよりに考えてみたいと思います。
他の動物に比べて、人間は高い知性によって意識的にものごとを認識し、判断する力を得ました。それにともなって発達した言語能力は、認識力を拡大するうえで重要な役割を果たしていて、たとえば「無限」という抽象概念を使えば、「無限」ということを直接体験していなくても、時間的にも空間的にも果てがないということについて考えることができます。日常的には、それほど遠くのことまで考えるということは稀だと思いますが、昨日のことや数日前、あるいは何十年も前のことを思い出したり、明日や明後日、来年や数十年先のことを計画したりということはごく普通に行っています。これってけっこうすごいことだと思いますが、そのすごさもさることながら、それにともなう問題についても無自覚であることが多いように思います。
有島武郎は「惜しみなく愛は奪う」の中で、過去に愛着する人をセンチメンタリスト、未来を憧憬する人をロマンチストと呼びました。そして、美しくも輝かしくもないかもしれない現在の生活を生きる人をリアリストだと言っています。いずれに属するかは個々人の資質によるとして、有島自身は現在の自分の存在をもっとも尊重するリアリストだと述べています。現在の自分がいかに不完全でもの足りないとしても、それがあるようにしかありえないのだから、全力を尽くしてそれ(現在の自分)を生きるしかないと、ことばを尽くして書き綴られる文章を読んでいると、ともすれば今の自分から離れて、過去の追憶の中や未来の夢の中にさまよいこんでしまう自分を諫めているようにも感じられてきます。実際のところ、よほど悟った人でない限り、過去や未来のことで頭がいっぱいになっていて、目の前の現在に対して、気もそぞろになってしまっているってことはよくあるんじゃないでしょうか。
過去は良い記憶ばかりではありません。思い出したくもないような嫌な記憶についても、繰り返し思い出して反芻し、固執してしまうことがあります。また、未来についても楽しい夢ばかりではありません。できれば避けたいような嫌な展開ばかりが思い浮かび、不安に苛まれてしまうことがあります。頭の中の過去や未来は、過度に明るく、もしくは暗く脚色されることがあります。それは人間が、目の前の現実だけでなく、過去や未来のことを考える認識力を持っていることの副反応のようなものなのでしょう。それによって現在の自分を生きるということが妨げられてしまうようであれば、そうなってしまっていることに意識的に気づき、コントロールすることが大切だと言えそうです。
高い認識能力の副反応をどうすればコントロールできるのか、森田療法の創始者森田正馬による「あるがまま」や、仏教の教えを心理療法に取り入れた「マインドフルネス」などについて、次回以降、見ていこうと思います。
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