この星の一部で垣間見た事実~PART 1~
毎日の生活の中で主流となったインターネットでやってくる情報。
それらは全て誰かの発信が元に起きていて、その量は今過大である。
所詮素人が”〇〇したら稼げる”とか”極貧の私でも出来た”など視聴者の興味をそそらせようとするキャッチコピーはもうありきたりで、
私がTwitterを始めた頃もそんなTwitterLander達がかもを探して勝手にやってくることも多かった。
そのつもりのなかった私はこっちは真剣に付き合える人だと思って対応しており、後にすぐFollowを外されたものである。
そんな会話をしたのは全て自身の利益の為だったのか、私は自分の貴重な時間をこんなしょうもない人に使ってしまったのかという虚しい経験をしたものだ。おかげで(?)今では選んだ”正常なコミュニケーションが出来る”人達だけを残している。
人間ってこの世界に7.9BもいてSDGsの観点からすると過大すぎるのは事実。
ただ膨れ上がったところから出来上がった経済や社会も裏ではもう生きる人たちの一部となっており、安易に「人口を減らせばいい」とはいえないレベルになっている。
それでもまだコロナ禍で苦しむ人たちや、内紛、汚い政府機関、飢餓、貧困、人として生きる選択のない子供たちの状況などはこの星にはびこっており中にはもう何十年と続いていて一向に解決しない事もある。
日々人のSNSに影響されても、それは結局その発信者の人生を垣間見るだけであるし、
私自身の人生と何ら関係ない。
いい情報だと思って目を落としても自分の手の中には入らない。
寧ろ出来ない事を考える時間の無駄に気付かされる。
7.9Bが一斉に自分の存在価値をアピールしだしたのだから無理もない。
よくスポーツ中継などで時折映される観客席で、自分が映っていると気づいた観客たちはこれとばかりに手を振り”自分はここにいるよ”とアピールをしていることが典型的だ。
もう既に「正解」がたくさんある時代で、正しい「生き方」の種類も多くなっている。
好きな事、楽しい事だけをして生きていこうときくが、実際それだけで本当にいいのだろうか?
仕事を始めて気に食わなければ直に変えていいのだろうか?
答えはYESだ。今の時代嫌なことは最後までしなくていいし、続けることの美すらも何のことやらとなっている時代だ。
その分稼いでいる物がキャリアがあると思われる錯覚や錯誤は徐々に消えつつあるだろうか?
そのポジションにいる者達が”勝手に”していることだから特に影響はない。
消えようが無くなろうが自分の人生に支障はきたさないので気にならない。関心がない。
その分自分が大切=自分の事だけが大切な人間も多くなった。
人が”感じる”値のズレは、単なる”感受性の違い”だけでなく時に”思考の結果のズレ”からストレス、鬱、不快、違和感などを得てしまう人もいる。
感性の赴くままなので10人のアーティストが10人相手に響くとは限らない。
個人的発信でも一方的な一部の人間だけにスポットを当てて、さも素晴らしい、イケてるなどと思わせるSNSなどの影響は実際には無意味な事。
メディアによってbrainwashされた”Coolだ”というイメージは実際にCoolではないかもしれないし、つまり「今日を最高の日に」と言えばいい所を「明日死ぬ気で今日を生きろ」と言われてしまえば、”明日死ぬのならば今日頑張ったところで何も変わらない、どうせ同じだ”といったモチベーションが下がるという考え方もある。
結局7.9B全員が表立って”私はここにいます、見てください”という事は不可能だし、
だから「1日を楽しく生きよう」とか「今日を幸せに生きよう」とするしかないのだろうか?
私達の生活には目の前にある自然を毎日感じることから始めるだけで充分ではないだろうか?
人間は傲慢で醜い生き物となってしまった。
勘違いや錯覚を起こし他人を思うことをしなくなった。
次回 この星の一部で垣間見た事実~PART 2;Ugly ~へ続く
オリジナル LISA ZATE DIARY (myashdom.org) より抜粋