鬱すらコンテンツにしたい
今、絶賛うつだ。
今日の夕食の準備に入るくらい前から鬱になった。
(うつの漢字表記・ひらがな・カタカナはその時の気分で変えている)
夕方からだんだん鬱になってくるとか、気持ちがゆっくり下降気味になる、
とかじゃなくて、
突然ずど―――――んと落ちる、穴ぼこにはまったかのような……
スコールのような……急に雨雲がわいてきて、叩きつけるような雨が降っているような……そんな鬱。
今日も例にもれず、やってきたよ、うつ。
ただ私は少しずつこの突然の訪問車をやり過ごす術を見つけている。
例えば、寝ること。
例えば、お風呂に入る事。
例えば、小説ではなく詩集を読むこと。
例えば、おだやかな気持ちになる映画やアニメを観ること。
逆にやらないことも決めている。
例えば、SNSを見すぎない。
例えば、~すべきで自分を縛りすぎない。
例えば、~したい!を我慢して自分を抑圧しすぎない。
やることのポイントは「やりたいこと」をとことん「やる」。
やらないことのポイントは「~しすぎない」。
そしてもう1つ私が最近見つけた鬱からの脱却方法は、
鬱であることすらコンテンツにすること。
例えば、SNSで鬱の時の体調記録を載せること。
例えば、YouTubeの撮影をすること。
例えば、次の動画なににしようかなあと考えること。
例えば、自分の鬱が何かの役に立つか考えること。
私はうつの時間とフラットな気分のスパンが短いから、
双極性障害ではない。
そしてうつ病でもない。(気分の下がり方がずっと続くわけではないため)
だから、恐らく気分変調症や新型うつと呼ばれる病気に当たるのだろうと
自分では思っている。
鬱のとき自分しかできないことを見つけるのではなく、
鬱のとき自分だからできることを見つけていきたいなあと思う今日この頃。
ちなみにこの「自分しか」と「自分だから」の表現は、
青山美智子さんの作品「猫のお告げは樹の下で」文庫本P.109の
から引用させていただきました。
この言葉、大好きです。
これからも
鬱の気分の自分だからできることを見つけて、
わたしらしい発信を続けていきたいと思っています。
myao🧸