見出し画像

あなたの周りにいる人はあなたを知る鏡

効率的な楽な生き方

例えば。

「わたしは "いつも" 虐められる」と言い続ける人。

その”わたし”の世界には、虐める側と虐められる側しか存在しない。
そのフィルターで他の人を見るので、そのように感じるし、そのような状況を無意識に好んでハマって行く。

では。
わたしは?
わたしはどのような人なのか?
わたしの周りの人々はどのような人々か?

わたしの周りにいる人々は、つい先日までは「聴く前に決めつけて話し出す人」だらけだった。

確かに。
わたしは「決めつける人」だった。
それはとても効率的な生き方だから、楽なのだ。


脳にとって、ルーティーンは楽

より具体的に。例えば。

「わたしは "いつも" 陰口を言われる」と言い続ける人。

その"わたし"の世界には、本音と建前、良い人でなければならないという人々しか存在しない。


そのフィルターで他の人を見るので、他の人は必ず陰口を言う者として見る。

陰口を言わない人の世界には居られない。
陰口を言われる "わたし" が好きだからだ。

では。
わたしは?
わたしはどのような人なのか?
わたしの周りの人々はどのような人々か?

わたしの周りにいる人々は、「対象に対する不平不満を陰口に発展するまで底なしに話し続ける人」だらけだった。

確かに。
わたしは「不平不満、陰口を聞き続ける人」だった。
そのような型を身に着け、その型の中で生きていたからだ。
脳にとって、ルーティーンは楽なのだ。


大人になった今は、自らの意志で「付き合う人」を選ぶことが出来る

本音と建前、上っ面の良い人で居ることは、日本においては生きる術であった。

わたしは "もう"、陰口を好む人々、良い人で居なければならない人々、その世界は要らない。
その世界は、バッサリ、ポイッなのだ。

大人になった今は、自らの意志で「付き合う人」を選ぶことが出来る。


では、わたしは、どうしたいのか?

これからは、根っこから本音で、根っこから愛の溢れる人で居たい。


そのために、どうすればいいのか?


そのために。
わたしは、わたしの感情を味わい尽くすことにする。

そのために。
良い人で居る前に、わたし自身の一番の理解者となり、わたし自身の一番の味方であり続けることにする。

不平不満の根底にある "わたし" の感情をわたしか見つけてあげない限り、それは底なしで、止まらない。


人はそのように造られている

人はあなたを写し出す鏡である。

まず型から。

理由は後から理解できるようになる。

人はそのように造られているのである


人は、そのように造られている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?