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#076 給料は何に対して支払われているのか

2022.7.7.
教員の前は、ブライダルの仕事をしていた。
ブライダルと聞くと、パッと思い浮かぶのはウェディングプランナーだと思うが、私がやっていたのは「コンシェルジュ」という仕事である。
式場に来たお客様を、適切な場所にご案内する。
新婦の母を着付けに案内したり、列席の方をクロークやラウンジに案内したり、挙式に遅刻してきた方をチャペル脇の扉からそっと案内したり、打ち合わせに来たカップルをサロンに案内したり、タクシーを呼んだり、アルバイトさんのシフトを組んだり。

ブライダル業界はとても華やかで忙しく、且つ、クレームが多い。
みんな一生に一回の大きな買い物として結婚式を開くのである。夢いっぱい。求めるものも多く、失敗が許されない。けれどいろんな考えの人がいるし、とにかく忙しいのでミスも起きる。そうなってしまうと大変だ。

プランナーほどではないが、コンシェルジュであってもクレームを受けることはあったし、それについて上長から怒られることもあった。

そんな時、確かTwitterだったか、「クレーム対応で頭を下げる行為にこそ、給料が払われている」のような投稿を読んだのだ。
驚いたし、同時に、なるほどなと思った。

自分の給料は、結婚式を円滑に進めることに支払われているだけでなく、イレギュラーな事態に対応したり、トラブルの解決や時には謝罪に対して支払われているのか。
というか、円滑に進めることは当たり前で、給料の比重は後者の方が重いのかもしれない!

こう思うようになってから、仕事で多少嫌なことがあっても、「まぁ、こういうことで給料もらってるわけだし。」と考えるようになった。

それは、教員になってからも同じで、もちろん最初の1〜2年はまず無事に日々の授業をこなし、1年間担任し続けることが大事だと思うのだが、それ以降は「子供同士のトラブルに対応する」とか「保護者からのクレームに対応する」とか、何だかため息が出ちゃうようなことがあったときに、そう思うようになった。

それから、嫌なことに対応するだけでなく、プラスアルファのことをするというのも、仕事をしていく上で大事なことだと思う。これまでなかったけれど必要だと思うことを提案したり、仕事を増やすのではなくむしろ良い方に減らそうとすることもプラスアルファの動きだろう。

私が教員8年間で、実は一番「あぁ、なんか…仕事したな!」と感じたのは、7年目に「オンライン朝の会」をしたことだ。(いつかこれについて記事にしたいなぁ。)

一斉休校でスタートした年度だった。新しく担任する子たちには1ヶ月以上会えず、学校HPに家庭学習の課題を載せたり、ポストに復習用のドリルを入れて回ったり。何をするにも壁打ちしているような感覚で子供の姿が見えなかったし、双方向のやり取りができたらいいのにと思うばかりだった。
そんな中、教育委員会から紹介されたのは「授業の動画配信の仕方」。

いや、それも壁打ちじゃん!!!

我慢ならなくなった私は、ZOOMを使って朝の会をしたらどうかと考えるようになり、実際にこんな感じで進めた↓
◆実際にやっている人の情報を集める。
◆自分の勤務校でもできる方法を考える。
◆提案としてまとめる。
◆学年主任や管理職に提案する。
◆やってみる。
◆成果や課題を報告する。

うまくいくいかないはさておき、これを終えたとき、「体育主任だから、○月に運動会の提案をする」とか、そういった提案とは違う種類の提案をしたなという気持ちになった。
もしかしたら…こういうのが「仕事をする」ってことなんじゃないのかな?



今の教員は確かに仕事が多すぎる。持続可能な働き方にはなっていないと思う。けれど、「クレーム対応するために教員になったんじゃない!」とか「あの学年主任となんてやってられない!」みたいな話を耳にすると、全面的にそうよねって言えない気持ちがある。

私たちの仕事は、子供と楽しく学ぶことだけに給料が支払われているのではなく、嫌なことや理不尽なことに対応したり、それを良い方に解決したりすることに支払われている側面もあると思うから。それを加味しても見合わない、やりたくない、ということであれば、別の仕事をした方がいいのかもしれない。

何が言いたいんだか分からなくなってきた…。

えーと…。

世の中みんな、本当に頑張って働いててエラい!嫌なこともあるかもしれないけれど、まぁ多少は仕方ない。それが仕事だ。でもできる限り楽しく、やりたいことができるといいよね!

まとめ違ってるかなー?まぁいいか。


#教員エッセイ
#給料の対価とは
#仕事論

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