宮本太郎『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』2021年,朝日新聞出版.

 宮本太郎先生の御近著である本書を読み,オンライン合評会ものぞかせていただきました.この本はとても重要な本だと思うし,合評会でうかがった議論も勉強になるものでした.合評会を開いてくださった加藤雅俊先生はじめ登壇された先生方,関係者の皆様に厚く御礼申し上げます.

 この分野に不案内な私のようなものにとって本書はありがたいガイドであり、研究者に限らず多くの方に読まれてほしい本です。しかしなかなか読み応えのある本で、1,2回通読しただけの私にはまだまだ未消化な点が残ります。というわけで消化のためにメモがてらこれを書いています。

 本書にはいくつもの重要な概念が現れます.本書冒頭でまず出てくるのは「新しい生活困難層」という言葉.「安定した仕事に就くことができず,さりとて福祉の受給条件にも合致しない,いわば制度の狭間にいる人々」を本書ではそう呼びます(p.3).

 この層を射程に入れた生活困窮者自立支援制度は2015年に施行されていますが,「所得補償の機能は弱く,現金給付は休職中の家賃補助である住宅確保給付金に限られ」ており,しかもその予算額は2020年度第二次補正予算で73億円.一方で経済産業省が所管する事業者向けの家賃支援給付金の財源は2兆242億円と桁違いです(p.4).

 この本は「日本における貧困,介護,育児の政治について,その対立構図を明らかにしながら,何がどこまで達成され,なぜどこで歩みが止まっているかを示す」ものです(p.5).具体的には,生活困窮者自立支援制度,介護保険制度,子ども・子育て支援新制度を取り上げて,「社会的投資」「準市場」(これらも説明のいるキー・ワードです)という視点からその可能性が検討され,「ベーシックアセット」という考え方に,福祉国家と社会民主主義再生の手がかりを見いだしていく,とされています(pp.5-6).

 ここでとは「社会的投資」とは「人々の力を引き出し高めながら社会参加を広げていく福祉のかたち」として,また「準市場」とは「公的財源による福祉制度の中で市場的な選択の自由を実現しようとする仕組み」として説明されています(p.7).その具体例などについては本書の中に様々出てきますので興味のある方はご参照ください.

 これら「準市場」と「社会的投資」という2つの仕組みが目指すものは,「当事者の事情に適したサービスと所得保障を実現し,人々が積極的に社会参加できる条件を提供していくこと」であるとされます(p.7).さらに「こうした保障が本書のいう「ベーシックアセット」の考え方,だそうです(pp.7-8).

 本書の特徴は所得を保障するベーシックインカム(basic income)ではなく,所得のみならず公共サービス,そして「コモンズ」を含めた「アセット」(「ひとかたまりの有益な資源」として説明されています」)についてもすべての市民に保証していくべきだという「ベーシックアセット」を主張するところにあります.つまり「ベーシックアセット」に含まれる要素としては所得に代表される私的なアセット,行政サービスに代表されるような公共的(行政的)アセットに加え,「コモンズのアセット」もあります.この「コモンズのアセット」とは,「誰のものでもなく,オープンで,多くの人がその存続に関わるが,その分,誰かが占有してしまう場合もあるようなアセット」とされています.具体的にはコミュニティ,自然環境,デジタルネットワークが念頭に置かれています(p.23).

 本書における「ベーシックアセット」論のキモはこれら複数のアセットが「一人ひとりが抱える多様な困難に応じて,必要なサービスや現金給付の最適な組み合わせが提供される」(p.28)ことを目指す点にあります.

 先ほど言及した「新しい生活困難層」は既存の制度では対応されていません.以下,少し長く引用します.

「ところが,こうした仕組みでは対処できない多様な複合的困難を抱えた「新しい生活困難層」が増大している.しかもこれからの仕組みは,こうした層を単に保護するというより,その社会参加を支えていく必要がある.
 複合的な困難を解きほぐし人々を元気にする,というのは容易ではない.そのために当事者に何が必要かは,だれも自明のこととしてわかっているわけではない.
 その点はソーシャルワーカーなどの専門家も,行政も,NPOなどの支援団体も,そして当事者も同じことである.したがってその都度,サービスや現金給付の最適な組み合わせをめぐって,当事者や家族が模索でき,専門家の相談支援を受け,試行錯誤できる仕組みが求められる.給付に至るそのようなプロセスの設計がますます重要になっている.
 国家(政府)の決定にただ服するのでもなく,市場に委ねてしまうのでもなく,準市場や包括的相談支援による社会的投資の仕組みを活かし,新たな仕組みを発展させていく必要がある.本書がベーシックアセットの福祉国家を展望するために,準市場や社会的投資をめぐる政治を素材にするのはそのためである.」(p.29)

 本書には重要と私が思う指摘がいくつかあります.以下ではそれらについてご紹介します.これらの指摘については私がこれらを素直に首肯できるというものというより、現時点でポイントとして押さえておこうと思っているものです。検証が必要と思われるものもありますし、いささか首をひねるものも含めています。

①税が社会保険に投入されているにもかかわらず,その恩恵は社会保険料を安定的に支払うことができた層にのみ及ぶために,日本の社会保障給付の多くがむしろ低所得者層以外に向けられていること(pp.43-45).

②この制度は拡大している「新しい生活困難層」に酷な仕組みとなっていること(pp.50-55).

③日本における社会民主主義的な提起が政権交代期のような「例外状況」においてのみなされ(「例外状況の社会民主主義」),制度が導入され政治が安定すると財政当局が支出抑制を目指すために,一連の政策に新自由主義的な圧力がかかること(「磁力としての新自由主義」).その結果,家族負担を軽減するに十分な公的給付を得ることができず,最後は家族に頼るか自助しかないという現実が広がってしまっていること(「日常としての保守主義」)(pp.9-16).

④「しばしば「リベラル派」が陥る失策は,自己肯定感につながる帰属先を見いだせずにいる人々に,帰属先からの自由と自律を説くことである」(p.307).

⑤「多元的な帰属の対象が失われたときに、若い世代の孤立感や心許なさ、定年後男性の喪失感は、排外的なナショナリズムのエネルギー源ともなりうる。したがって、地域の多様なコミュニティの持続と再生を支えつつ、他方において、帰属するコミュニティを選択したり場合によっては離脱できる条件を広げることが必要になる。本書が取り上げてきた生活困窮者自立支援制度あるいは地域密着型の社会的投資の仕組みは、中間的就労や居住のコミュニティの形成を促進しつつ、人々をこうしたコミュニティにむすびつけていこうとするものである」(p.307)。

 ここでは上記のうち⑤について少し今の自分の考えを述べておきます。帰属するコミュニティの選択や離脱の自由というのは個人の幸福にとって重要なことですが、コミュニティもまた誰かの労力によって維持されているものであり、その負担をどうするかということは考えておく必要がありそうです。コミュニティはレストランで料理のメニューを選ぶものではなく、むしろ料理の過程に参加することを成員に求めるようなものでしょう。自分がコミットするコミュニティを選ぶ(それが地域的に制約されたものでない場合もあるかもしれません)際のコミットには当然コミットチャージが含まれるはずで、それは金銭のみならず労務負担も含まれます。消費者感覚で帰属するコミュニティを選ぶような人が増えれば、そもそも選択すべきコミュニティの選択肢も減るのではないでしょうか。コミュニティへの社会参加を促すということはそのコミットチャージを払うよう促すことでもあるはずで、自己承認欲求を満たすためにそれをみなが喜んで払うことを前提にできるかどうかは、私にはまだよくわかりません。すべての人が払いたいときに払えるコミットチャージを保障するのもベーシックアセットの機能であろうとは思いますので、社会的引きこもりにもコミュニティ維持に汗を流す人にも優しい考えではあるのだろうとは思いますが、それがコミュニティの民主化に貢献するのか、はたまた専制的なコミュニティの存続に寄与してしまうのか。

 最後にもう1点。このベーシックアセット的な発想を政策に変換させる担い手をどう育てるかという問題がどうしても残ります。本書では自民党や民主党における社会民主主義、新自由主義、保守主義の相克が示されています。つまりベーシックアセット的な政策を実現する主体としての政党を我々が見出しがたいということですね。ベーシックアセット的な政策を作りアイディアとして提起するようなpolicy networkは形成できても、国会において議案化できなければ画餅に過ぎないということになります。本書で「例外状況の社会民主主義」として表現されているように、政権が危機に瀕し政権交代などが起きると社会民主主義的な政策が、新たな支持を動員する手段として導入される傾向はあるようです。だとすると今年の総選挙はチャンスかもしれませんが、であればなお、だれに、どこに投票すればいいのか不明確なのは困りますね。

 本書が政治家にも広く読まれ、宮本先生のアイディアに乗るという政治家が多くあらわれることを願っております。


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