ウクライナ情勢に思う

 ロシアのウクライナ侵攻のせいで、気持ちが18歳のころに戻ってしまったような気がする。高校生の頃の僕は大学で国際政治学を学ぼうと思っていた。ソ連がアフガニスタンに軍事介入したのが1979年12月14日、日本がモスクワオリンピックをボイコットしたのが1980年、その年のアメリカ大統領選挙では共和党のロナルド・レーガンが、民主党現職のジミー・カーターを退けた。1981年1月21日にレーガンは第40代アメリカ合衆国大統領に就任した。レーガン政権は「力による平和」を唱え、ソ連との対抗を前面に出した。
 僕が高校に入ったのは1981年4月。自分がどんなふうに生きていったらいいか皆目わからなかったが、まじめにあくせく働いたところで米ソで核戦争始めりゃ何もかもパーなんだなという気分で高校生活を送っていた。
 高校の漢文の時間に十八史略や史記の存在を知った。それらを適当に読み漁り、墨子やクラウゼヴィッツの『戦争論』、高坂正堯『国際政治』あたりを読むうちに、大学で国際政治学や核戦略を学ぼうという気になっていた。
 今自分が高校生だったらやはり大学で国際政治学を学ぼうと思っただろう。ニュースやウクライナ情勢についてのウェビナーを追いかけ、図書館でユーラシアの情報を漁り、ロシア語を勉強しようと思ったかもしれない。そしたら進学の志望先はやはりスラブ研究所のある北大か。
 
 ソ連、ユーラシア研究といえばどうしても旧師秋野豊のことが思い浮かぶ。彼は1998年の7月20日、タジキスタンで国連政務官として殉職した。きっと今頃天上でウクライナ情勢を見て、歯噛みしながら地団駄踏んでいるに違いない。ウクライナの悲劇に心を痛め、なんでこんな時に俺は死んでるんだと。そして彼のあとに続いている研究者に、俺の分も頼むぞと念を送っていることだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?