ロックスターの危うさと儚さと美しさに
5月は、私が愛してやまないTHE YELLOW MONKEYとL'Arc~en~Cielにとって、特別な月だ。明けて終わってしまったけど(苦笑)。
今日は、「スキ」があんまりつかないけど、敬愛するロックスターの話をする。
この場では語り尽くせないし、語り尽くすことは永久にできない。では、なぜ書こう、書きたいと思ったか。
THE YELLOW MONKEYの「PUNCH DRUNKARD TOUR1998/99」期間限定映像配信が5/31までだったからだ。「PUNCH DRUNKARD TOUR」は、THE YELLOW MONKEYにとって一つの大きな出来事で、そこから解散の道が始まったともされているが、個人的には中3になってやっと、卒業後、春の横アリライブに参戦できるぞ!と、とても思い入れ深いツアーとして鮮明に残ってる。
今でも忘れない。あそこは箱舟だった。あの空間は、私にとって、箱舟だった。
98年は、私にとってもそれはそれは酷い年だった。受験という意味でも辛いけど、いじめにあって、保健室から教室へを繰り返していた。この辺は、ひたすら暗い思い出になるので、割愛。
つまり、ちょっとした、反抗期でもあった。ひきこもりでもあった。THE YELLOW MONKEYが「PUNCH DRUNKARD TOUR」で、神奈川県民ホールに来たとき。私は学校から抜け出して、自転車をこいで、慣れない電車を乗り継ぎ神奈川県民ホール前まで行った。大冒険だった。行ったことなかったし。
もちろんチケットがないから、中には入れないし、当時は「チケット譲ってください」なんてシステムも存じ上げてなかった。怖い人に付いていってはいけないから、ダフ屋にも近づかない。ただ、ひたすらツアートラックを眺めて、「本当にここにいるんだ!! すごい!!」と大興奮したものだ。でも、根性がないから、そのまま外で音漏れを聴いて帰るなんてことまでは、できなかった。これがひとつめの思い出。
そして、99年の3月7日(日)に初めて、横浜アリーナへ参戦した。ツアー本数でいうと111本目だったそう。うれしくて、うれしくて、ライブ空間はもう本当にノアの箱舟のようで、宇宙船のようで、キラキラして、私の好きなものだけしか存在しなかった。確か、次の日が卒業式で、最後まで卒業式に出るかどうか悩んでいた。
吉井さんはMCで「自分の力でどうにか乗り越えて」と、そう言っていた。
21年も前の話だから、一言一句間違ってないかわからない…と書こうと思ったけど、この間の片付けで親友との交換日記を見つけて、そこに書いてあったから、多分、合ってると思う。鮮度の落ちてない感じの文章だったから(苦笑)。
私にとってその言葉は、心からうれしかった。突き放された言葉のように取れるけど、「甘えてんじゃねぇぞ」と「誰かに頼るな」と、そう背中を押された気がした。これが2つめの思い出。
学校を早退しては、tvkで撮ったTHE YELLOW MONKEYの最新ライブ映像や、NHKで特集が組まれた時の「野生の証明ツアー」のライブ映像を、録画したテープが擦り切れるほど見て、「メカラウロコ・7」を延々と流し続け、部屋で爆音で「SICKS」をかけ、部屋の明かりは付けずに、泣き叫びながら歌を歌っていた。
こうやって書くと、中々に 破天荒キャラだなww
でも実際そんなだった。それで、夜中までラジオをつけて、勉強していた。
雨の中、自転車をかっとばして、はとこの家まで家出したこともあった。
でも、そばにはいつもTHE YELLOW MONKEYがいた。吉井さんの声が、THE YELLOW MONKEYの音が、私の耳から、脳みそから、口から、流れ続けていた。あのころは、踠き苦しんでいた。光も見えず、苦しさだけが増して、本当に死にたかった。でも、THE YELLOW MONKEYの音楽があった。どれだけ救われただろう。
編集やライターという仕事を知ったのも、THE YELLOW MONKEYがきっかけだったりする。私は「ROCKIN’ON JAPAN」のTHE YELLOW MONKEYの記事が好きだった(「音楽と人」も好きだった)。こう、ミュージシャンがうまく口では表せないことを噛み砕き、読者に誤解を与えないように、ひとつの考え方や捉え方として提示するというか。そういうところが、好きだった。そういうことを、やりたいと思った。あとは、山崎編集長のこだわり「500円」ね。今は違うんだろうけど、その当時、ワンコインで買えること、を信念にされていて、学生の身としては“なんて素晴らしいことだ”と思ったものだ。これも、113本という長いツアーのせいで、テレビではお目にかかれなくなってしまったTHE YELLOW MONKEYを追うために、音楽雑誌を頻繁に読むようになったから、知り得た世界だった、とも言える。だから、これが3つ目の思い出。
吉井さんが「パンチドランカーツアーは、失敗だった」と言った、という言葉を当時目にしたものだが、映像を観ていると、そこには命の火をゴウゴウと燃やしながら、音楽を奏で続ける彼らの美しい姿があった。もちろん、疲れも見える時がある。でも、それ以上に、こんなにも心を燃やして、身体が引き裂かれてでもロックを届けている、ロックスターが、ロックバンドが、そこにはハッキリと映し出されていた。不恰好かもしれない。泥臭いかもしれない。でも、だからこそ、THE YELLOW MONKEYなんだと、私はTHE YELLOW MONKEYが大好きだと、胸を張って言える。
あぁ。かっこいいな。いつ、会えるんだ。延期の日程は決まったかい?
待っているから。春なんか来なくたっていい。待っているから。
また、あの箱舟に乗せてほしい。あの空間で、暴れさせてほしい。
THE YELLOW MONKEYの音楽を、全身に浴びたい。早くその日が来ますように。