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響け!ユーフォニアムのはなし
あれは八月の初旬も初旬。八月四日。夏の暑さもいよいよ本番、大阪でも猛暑、酷暑と言われ始めた頃。
僕は朝、慣れない7時台の電車に揺られて一路、大阪ステーションシティシネマを目指していた。
人混みと、人の波、人の流れはそれはもう、久しぶりの感覚だった。
しかし、不思議と人とぶつかることはない。お互いのタイミングを見計らっては、避けを繰り返しているからだ。
背負ってるリュックサック。背中を伝う汗を感じながらも、僕は歩みを進めていた。
展望デッキには、燦々と降り注ぐ夏の太陽と、遠くに見える六甲の雄々しき姿。流れる淀川に涼を感じるには少し風情がない。
見えざる何かと戦っている気がする。
そう、僕は寝ていないのだ。
休みだからと、まあいいかと、僕は寝るのを諦めて、多少、横になる程度で望んだ当日。
幸い、上映中に眠くなることはなかった。
だが、ここまでの道のりで汗を多分にかいてしまったので、水分補給をしたい。売店は長蛇の列。これはコンビニに行くしかない。
そう思い僕は、ファミマと言う文字を目指す。
あれ、様子がおかしい。
僕の記憶、恐らくスラムダンクを見に来た時には表から入れたので、何気なく、極当たり前に表から入ろうとすると、締切になっていた。
少し恥ずかしい気持ちと、まあ暑いからねという言い訳と共に建物内の入り口を目指す。
普段使い慣れていない場所は苦手だ。
レジは当たり前のようにセルフ。
朝だからそのほうがいいだろう。
おにぎりでも買おうかな……でも、上映中にパリパリ言っちゃうしな。
それじゃあスナック菓子でも……それだと咀嚼音がうるさい。
とにかく、水だけ買い僕はファミマを後にする。
劇場へ戻り、発券してあったチケットを係員に見せると僕は自分の座席をひたすらに目指す。
僕はなるべく中央の席を取るようにしているので、早めに入ったほうが他の人に迷惑を掛けずに入れるが、その時は割とギリギリに入ってしまったので、すでに着席している端の人達の前をすり抜けて入っていく。
着席して、暫く映画館の広告を見る。
僕はこれを目のチューニングと呼称している。
大画面のスクリーンで見ることなんてそうそう無いから、これで目を慣らす。
しかし、問題があった。
寝てないのだ。
眼球運動をするたびに疲れを感じる。
大画面の端から端まで見るのに苦労する。
目薬はない。もちろんない。これが、コンタクトレンズをつけてきていれば、それ用の目薬でなんとか出来ただろうが、寝ていないこともあり、眼鏡のままである。
そして、映画館の中で僕はこれが一番、コロナ前の日常が戻ってきてるんだなと実感できた、ポップコーンバク食いする人。
上映前に意地でも食べきりたいくらいのスピードで矢継ぎ早に口の中にポップコーンを放り込む。
もはや、競技レベル。
しかし、ある程度それは個々の自由の範疇である。そもそも、ポップコーンは劇場が売っているもので、映画といえばポップコーンは主流どころか、持っていないとダメなんじゃないかって思うくらいである。
いや、そんなことはない。
貪り食う人を横目に僕はさっき買った水を飲む。
肘掛けのドリンクホルダーにペットボトルを差し込もうとしたが、サイズが合わず入れることは出来なかった。
なので、僕は手慰みにもなるかと、持ったまま鑑賞を始めた。
本編の内容をつらつら書くのは野暮というものだ。
ゆっくり、じっくり、だけどそこまで長編ではない本編の時間を少し頭に入れながら、僕はユーフォの世界に浸った。
懐かしいこの感覚。
あの凄惨な事件の後、僕は何度もこの瞬間が来ないのではないかと恐れた。
家族ではない。近親者でも親戚でもない。ましてや、友人なんかでもない。なのに、なのに、押し寄せる悲しみとなんとも言えないドロっとした感情。
ユーフォで言えば「悔しくて死にそう」なんだろうけど、そう自分を茶化す余裕すらない。
死者に祈りをなんて、生者の自己満足だとは思う。
でも、そうせざるを得ないこともある。
それは、自分の気持ちに踏ん切りをつけたいとき。
それで救われるのであれば、そうするしかない。
あの時に亡くなられた方々。僕はかつて、京都市内で行われたイベントに赴いており、作監座談会なるものを鑑賞した。
その時の人達が、無惨にも……と思うと胸が詰まる。
一方的な知り合いのようなもの。
だからといって、他人ではない。
あの日から、僕らはこの日を夢見ていたのかもしれない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンが完結しても、やっぱりまだユーフォが見たい。また動く久美子と麗奈、葉月に緑輝が見たい。
あの演奏が聴きたい。これまでのじゃなく、新しい演奏が。
これからの話しも面白い。原作小説の流れで行けば、久美子が大人になる過程だ。
麗奈との関係、秀一との関係。他の部員との関係。黄前相談室の真実。
あの絵葉書のこと。
小説を読んで、自分勝手に脳内妄想で映像化することはできる。でも、京都アニメーションの絵でアニメーションで動かすのは僕には出来ない。
僕らは、座して待つことしかできないのだった。
なぜなら、当事者ではないから。
その時、自分が傍観者で、俯瞰でその様を見ていることに気がついて、自己嫌悪に陥った。
あの日、僕は大阪駅の上にある映画館に居た。
そこで見た内容が、今でも頭から離れない。
また見たいと言う気持ちと、今のこの状態をキープしたい気持ちが入り乱れる。だから敢えて二回目は見ない。
まだ、なのか、もう、なのか。
それはわからないが、僕はこの状態を維持して来年春のテレビシリーズ第3期を見たい。なんならその直前に見返すのもいい。
敢えて我慢するほうが、気持ちいいこともある。
映画に没頭していると、手に持っていたペットボトルが闇に吸い込まれていった。
果たして、何処へ言ったのか検討つかず、放置するのが無難だと思いそのままにした。
本編を食い入るように見る。たまに足元が気になる。
隣の人に迷惑はかかっていないだろうか。そんな気を揉んでいた。
上映が終わり明るくなった頃、意外とパーソナルスペースの納まっていたペットボトルを手に取ると、残りを一気に飲み干した。
それくらい、喉が乾いていたのだ。
映画館を出ると、そこには現実が横たわっていた。
まるで、お帰りと言わんばかりの大阪の風景。さっきまで宇治にいたのに、京阪特急を飛ばして帰ってきたかと思えるような。
少し遠くに見える淀川を遡れば宇治へ行けるが……。
そういう気持ちと同時に、眠気が襲う。
早く帰って寝よう。
普段なら来たついでにと楽器屋さんめぐりをするが、そんな体力もないし、まだ開店時間まで少しある。
真っ直ぐ帰路についた僕は、お昼ご飯だけ買って帰り、すぐに眠りについた。
とまあ、気取ったノンフィクション小説のような語り口調で書いてきましたが、ここから通常運転。
そして自分の好きどころの話し。
井上順菜(パーカスの茶髪の子)が可愛かったが、クレジットでは吹奏楽部員になってて悲しかった。
めっちゃいいキャラだったのに……。あの三日月の舞のシンバルの子ですよ。
そして原作小説読んだのが、もう随分前だから丁度いい物語の距離感だった。
薄っすら覚えている内容との照らし合わせ。まるで思い出をなぞるような感覚でしたね。
おかしい、僕は登場人物ではないのに。
そういう没入感を思える、思わせる作品を書きたいですね。
ちょっとしたブログ、日記だって自分の体験したことの様に思えてもらえるように……。と、謎のモチベーションが。
此処から先は、原作小説読んでる人にはすでに知られている内容ですが、アニメで追っかけてる人からはエゲツないネタバレになりますので、有料エリアにしておきます。
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