スパイクなんちゃら
美人は髪がロングでもショートでも似合うものね、なんて、おじさんみたいなことを思ったりして。久しぶりのめいこさん。「スパイクなんちゃら」という表現が的確すぎる!
ついこの間まで、「愚かな人」と言い切ってしまうことに、ためらいがあった。でも、口に出さなくても、そう思って接するほうが、こちらが消耗しないと思い始めたところ。
よくも悪くもレッテルを貼っちゃえば、そこから先は考えなくていいから。
「分かる」というのは、「言葉を貼っつけて、分ける」ということ。
自分を守るために逆利用することにした。同じ土俵に立つと、本当にクタクタになる。
あっちだって、「ヘンな人」ってカテゴライズしているだろうし。
めいこさんは、年末年始、これで体調を崩されたそうだ。私は急性じゃなくて慢性(笑)。寝込むことはないけれど、だいたい、1年くらい悶々とする。けっこう、しんどい。それを茶番前に何度か経験していたから、相手を選ぶようにしているし、なるべく口にしないようにしている。
めいこさんは、つきあっている人の関係性は三種類あると言う。
「⑴頭でつきあう人」は、この茶番を理解していたり、理解しようとしている人。「愚かじゃない人」って言い換えることができると思う。
「⑵心でつきあう人」は自分に関心を持ってくれる人。だから心で繋がっている。家族だとか、友人と言える人かな。
「⑶機械的につきあう人」は、ただクラスがいっしょ、職場がいっしょのような、偶然いっしょにいる人。ここの関係で「愚かな人」は放っておく。
問題は「⑵心でつきあう人」。ここの層が「愚かな人」ばかりなのよね、私の周囲は。この層もあきらめることにした。私と、私を頼ってくれる「⑴頭でつきあう人」のために。
「愚かさというのがスパイクなんちゃらのようにうわーっと放出されて、それでバシバシバシッと来る」というのは、本当にそう。私はその「スパイクなんちゃら」を「穢れ」って表現した。今までそんなことを思いもしなかったから、「穢れ」という言葉が浮かんだことにびっくりしたのだけれど。
「穢れ」に負けない精神力のようなものがあればいいとは思うのだけれど、今の私はかなり軟弱なようだ。
だから、まずは、できれば「穢れ」を避けること、穢れたら「穢れ」を落とすことだ。それから「穢れ」に負けない精神力をつけること。
「穢れ」に負けない精神力をつけるには、一つには昔から修行と言われているものをアレンジしてやってみることだろう。
それから、もう一つ。人智を越えたものを信じることも必要だと思う。従来なされてきた修行の先には、必ず神や仏があるのだから。
「清くなる」というのが、どういう意味なのかずっと分からなかったのだけれど、ここに来て、ようやく分かった。神社でお清めをするのも、同じことかもしれない。
手水舎(ちょうずや)に消毒液置いているようじゃね・・・。ある有名神社なんて消毒液しか置いてなかったから。最近、神社巡りをしているけれど、両方置いているのは、なかなかないので、記念撮影(笑)
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