裏切ったじゃないよね、何か事情があったんだよね。
麒麟がくるはいよいよ最終回。
おそらく1時間ではここまで描く尺ないであろう、
本能寺の変の事後の話。
日本史上最大の下克上、本能寺の変から、三日天下と呼ばれるきっかけとなった山崎の戦い。
羽柴秀吉が信長の弔い合戦として光秀を討伐した合戦です。
光秀の敗因はざっくり言うと、準備不足。
そして想定外の誤算。
信長を討ったあと、光秀は当然、先々信長の弔い合戦が起こるだろうと、彼なりに準備を進めていました。
特に柴田勝家あたりになんてホントに恐れていたんです。
ですが。
【誤算その1】
秀吉の帰還が嘘みたいに速く、さらにものすごい数の兵集めてきた。
秀吉は当時、毛利攻めに苦戦しており、光秀も彼がすぐ戻ってくるとは想像もしていなかった。
いわゆる「中国大返し」で秒の速さでやってきたうえに、秀吉軍への諸将の集結が神がかっていた。
【誤算その2】
藤孝の「だが断る。」
光秀は細川家へ
「親戚関係だし、藤孝とは長い付き合いだし、味方になってくれるやろ」
と出兵の要請を送ったが、ここで細川親子、まさかの出家。
それでも細川の力を頼らざるを得ない光秀はダメ押しで、
「謀反を起こしたのは忠興と自分の子に天下を譲るためなんだよ!
落ち着いたら自分は隠居するから!
君ら来るのが無理なら家臣来てくれてもいいから。ほんと一生のお願い」
と援軍を頼んだが、細川親子、ガン無視。
【誤算その3】
光秀の与力大名として勢力を拡大していた筒井順慶も出陣要請を既読スルー。
もうここまでくると光秀は
「藤孝があんな感じやからちょっとそうかな?とは思ったけど。」
【誤算その4】
苦戦を強いられる中で士気が超絶低下。
離散や脱走者ぞろぞろで兵力ダウン。
戦は終始、3〜4倍の兵力をもつ秀吉軍が有利に進め、その日のうちに完全に勝敗がつきました。
その後、逃亡する光秀は落ち武者狩りに遭い、命を落としたというのが通説ですが、
実は死んだのは、光秀の影武者で、本人は名前を変えて故里である現在の岐阜県山県市に隠れ住んでいたなんて伝説もありますね。
(これって全国で通用します?ローカルな都市伝説あるあるですか?)
アテにしていた仲間にそっぽを向かれ、圧倒的不利な戦に挑み、最後は逃げまどううちに刺されて亡くなった光秀。
こんな残念なラスト、ストーリーの途中の麒麟がくるでは想像できませんね。
最終どのように描かれるのでしょうか。。