我の強い人

「あの人、我が強いから、困るんだよね」

言葉として以前からあるのは知っているけれど、流行りなのだろうか。「我が強い」という言葉を最近頻繁に聞く。

頻繁に聞く言葉は特に自分の思考対象になりがちだ。


言うまでもないが、「我が強い」とは、自分の主張を頑なに曲げずにいる人の様子を表す言葉だ。大抵は非難を込めたその言葉に、私は複雑な思いだ。

理由は簡単で、自分はどちらかといえば我が強い人間だからだ。

齢20(というかもう20歳も折り返しているんだな…)にしてようやく自我が何なのか分かってきているつもりだ。あくまでつもりだけれど。

自分の意見はきちんともっていないといけない。

自分が主張すべきことは主張しないといけない。

間違っていると思った時は声を上げる。

どれも、自我が芽生える前、大人から、世間から吹き込まれた「常識」。

その通りにしてきた。
「いい塩梅に」という飾りを、無意識にいつも引っさげて。

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一つ、母親がよくするエピソードがある。
それは、私が幼稚園に通っていた頃のことだ。

午後の遅い時間、学年関係なく、残っている人たちと料理をするイベントが何度かあった。放課後のクラブ活動的なイメージだ。
多分、延長保育か何かの一環だろう。

そこに参加した、「年中さん」の私。

延長保育の先生がある日母親に言ったそうだ。
「年長さんの子たちに手順を振り分けて、率先して頑張っていましたよ。楽しそうでした」と。

想像して笑ってしまったそうだ。

そのエピソードを私に話して以来、私の母親は私のことを時折「仕切り屋」と呼ぶ。笑


母親がよく話す当時のことを、自分は全然覚えていない。
けれど、他の記憶を掘り起こしてみると、確かに私は仕切り屋だ。

中学校ではクラスの代表もやった。それでいて、行事で目立つ役はやりたくない。クラスのムードメーカーにはなろうとも思わなかった。
高校の文化祭では、団結力のないクラスを、委員でも係でも何でもないのにまとめようと全力投球し、おそらく高校一頭のキレる担任の目すら釘付けにした(これも母親から聞いた。担任が保護者会でクラスの前で言ったらしい…)。

大学生になって、インターンでグループワークをした時のことも思い出される。同じグループには年上しかいなかった。
順接なのか逆接なのか分からないけれど、その環境なんて関係ないと言わんばかりに幾度となく閉口するディスカッションを盛り立て、資料をガツガツと書く係だった。
今大学で取り組んでいるグループワークも概ねその立場になることが多い。

これは、仕切り屋ですね。


ただし個人の感覚としては、幼い頃教わった「正しいこと」を、その通りに、そして幼い頃から練習した「いい塩梅」でやっているだけだ。

「我の弱い」仕切り屋って、いないと思う。
だから、少なからず自分は我が強いのだと思う。

ここまで1,000字くらい思い出話をしてきたけれど、何かっていうと、我が強い人になってしまうのが怖いだけ。

嫌われるのはいいけれど、って私は言う。
でも、「けれど」ってついちゃってる時点で、嫌われるの嫌なんでしょ。知ってるよ。

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積極性とも違う、何だろうこの私の性格は。責任感?それなら多少は腑に落ちる。

直接言われていないだけかもしれないけれど、とりあえず、人から我が強いと評価されたことは今のところはない。
そのため、自分は典型的な「我が強い」人ではない、と仮定してここから先の話を進めていく。

私がこれまで見てくるに、我が強い人とそうでない人の決定的な違いは協調性だと思う。

我が強い人は、他人の意見を聞き入れようとせず、自分の考えを押し進めていく。
そうでない人は、周りの意見を聞き入れながらより良いものを一緒に作っていこうとする。
アウフヘーベン。アサーション。いろんな横文字が自分の脳裏をよぎっていく。

そういえば私が自分なりの一大決心をしてやりがいを捨てて自分の成長を選んだ理由の一つには、「我が強い」人と衝突したことがあったなあ…と思い出される。

そして協調性といえば、この2年くらいで自分に協調性が生まれたんだった。
確かに、芯は強くて、自分の意見は通そうとするけれど、ひょっとしたらちゃんと周りの意見も聞き入れながら物事を進められていて、やる人がいなければ率先して全体を取り仕切ろうとするだけなんじゃないかな?

いいところばっかり抜き出してみたら、こんな感じになった。



極端に我が強い人は、周りのモチベーションすら削いでしまう。それによって周りの人の能力の芽が摘み取られてしまうのって、すごく理不尽で、でも、偶然で、不可抗力だと思う。

我が強いのではないけれど、「いい塩梅」をわきまえた仕切り屋でありたい。そう思った。


だんだん疲れてきたので今日はこの辺りで。
今下書きに書き溜めているものも含めて、最近いまいちメッセージ性のある文章が書けない(それは今も昔もか…?)。なんとなく心に思ったことを、なんとなく文字にして。

まあ、それもいいね。むしろ、その方がいいかも。