心を亡くすほどの忙しさはなくていい。
おはようございます。
なんだかちょびっとだけ更新してるわたしです。
今日のテーマは、「忙しい」。
というも、この言葉を、前のお仕事をしている間、わたしはよく使ってたように思います。
実際、忙しかったと思います。
お仕事と、自分メンテナンス。
この2つで十分しんどすぎて、プライベートは置き去りでした。
忙しいから行けないかも
忙しくて時間ないかも
忙しいから遅くなるかも
この、「忙しい」という言葉が、「心」を「亡くす」と書いて「忙」という言葉だと知り、ここ2年ほどは、
心を亡くすほどの忙しさはいらないな
と思うようになりました。
「心」を「亡くす」ほど「忙しくて」、何かができない。それが本当にしたいことなら、なおさら、どうして?みたいな。
「忙しい」って、「究極」の、誰も否定できない、受け入れざるを得ない理由だと気づき、なるべく使わないようにしたいなと思いました。
だってどうしようもないですものね。それは本人も、周囲の人も。
忙しいんだから
でもある日、これを言われる側の人の気持ちはどうなんだろうと思ったのです。
「積極的」に「関わろうとした」ら、「忙しい」と返ってきた。
もはや待つか、諦めるか、どうしようもないわけで。怒ることも出来ず、否定することも出来ず、受け入れざるを得ない。
でもずーっとこればっかり言ってると、人って誘うことしなくなるんですよね。
「あの人忙しいからたぶん無理だよ」
って思われて。
「誘っても断られるだろうからやめておこう」
って、誘ってすらもらえなくなる。
というのは、あるあるな話で。
なので、わたしは、「心を亡くすほどの忙しさはいらないな」と思いながら、今のお仕事をしています。
大切な人、関わりたい人と関われる時間、心に余白を持てる範囲で、お仕事が出来たらいいなと思っています。
自然を愛でたり、季節を感じたり、そんなことができる時間を持てるように、忘れないように。
そしてそこで見つけた、たぶん今のわたしができる、今の職場での月の労働日数は18~19日、多くて20日ぐらいだろうなと思ってます。これもシフト制だからなせる技、かな。
でも、土日祝を全部ならして、月の労働日数に変換すると、平日5日勤務とあまり大差ないんですよね。不思議。
ということで、今日もお仕事、行ってきます。明日はお休み^^*