忘れられない言の葉の話。
先日、母から小包が届いた。
大学で地元を離れて、一人暮らしを始めてから、
母は毎年この雨に降られる時期に、
梅を漬けて作ったシロップと
素麺や果物、私の大好きなお菓子たちを箱いっぱいに詰めて送ってくれる。
一人暮らしのおうちは快適だし、
定期的に帰省もしているので、
特段寂しくなることもない。
でも、届いた小包をほどくと、そこにある母の温もりと優しさを感じて、毎回少し実家が恋しくなる。
今日はそんな母が私にくれた忘れられない言葉を書き留めておきたい。
私が一人暮らしを始める夜、
小さなお店で母と2人、お鍋をつつきながら、
もう大学生か。はやいねぇ。
なんて話をしていると、
母が少し涙ぐんで
『あなたが、こうやって、素直で真っ直ぐな子に育ってくれたってだけで、ああ間違ってなかったって、やってきてよかったって思うよ』
と言った。
その言葉から感じた、
母の葛藤や責任の重さ、母も弱さを抱えたひとりの人間だということ。
子供から見ると、親というのは絶対的な存在だ。幼い頃なんて特に常に正しい人のように思える。
私は比較的、反抗期というものが少ない子供だったが、それでも母に思春期のイライラをぶつけてしまった時もあったし、きっと他人には断じて言わないような傷つける言葉を、"母だから大丈夫"を拠り所に投げかけてしまったこともあった。
私のことで影で悩むこともきっとたくさんあっただろうけど、私にはそれを全く見せず、常に強く大きく正しい存在でいてくれた母。
その母から零れた人間味に満ちた安堵の言葉。
嬉しかったし、
母の子供で良かったと心から誇りに思ったし、
私も将来、自分の子にそんな言葉を掛けれる母親になりたいと強く思った。
母の言葉についてもう1つよく覚えているのが、
昔から母は、私の"ただいま"の声色1つで、私の異変を察して、
『何かあった??』
と声をかけてくる。
その言葉をかけてこられた時、私はいつも、母に泣きつきたい"何か"があった。
敵わないな、と、本当に思う。
そのおかげか、まだまだ"何か"があったら一番に母に相談してしまうし、
ひとり暮らしを始め、一応自立したと言ってもなお、心配もたくさんかけてしまっていると思う。
そんな幼さの残る自分も、いつか子供ができたら母のようになれるのだろうか。
もちろん全て母のように生きたい訳では無い。
私なりのしたいこと、憧れる生き方は他にある。
だけど、母から私に注がれた溢れんばかりの愛情は、いつの日か、その形を保ったまま、誰かに渡してあげたい。
そうすれば、きっとその子は世界一幸せな子になれる。
そして、その子を母に見せることが、私ができる1番の親孝行なんじゃないかって、ちょっと照れくさいけど心から思う。
そんな日を夢見て、母の言葉を心に閉まって、
1歩ずつ私の歩みを進めていきたい。
柚。