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#8 ユウスケくんからの着信

私の頭はまだ鬱屈としていた。事故の日から三ヶ月間、まるで魔女がかき混ぜている鍋の中身のように、粘度の高い液体がグツグツと常に煮込まれているような感覚だった。

「もし、結婚したらどうなるのか?」「もし、婚約を破棄したらどうなるのか?」そんなことを無意識に口にしながら、終わりの見えない未来を延々と考え続けていた。

もし結婚したら、私はずっと介護が付きまとう。
看護師さんやリハビリの先生のように、サポートを毎日、当たり前のように行う。それ自体は覚悟できる。私一人でなくても、行政や有料サービスを利用すればなんとかなるはず。きっとタクヤのご両親も協力してくれる。

しかし、それは『私が愛したタクヤ』のためならばの話だ。
病室にいるあの人が未だに『スガタカタチだけのタクヤ』にしか見えない私には、本当に結婚して踏ん張って支えていけるのか?

子供だってほしい…

お母さんは結婚に反対していた。きっとお父さんもそうだろう。
幼馴染もそうだ。婚約を破棄しても、一番近い人は私の味方で居てくれる。

だけど、その他の人たちはどうだろう?究極に悪い言い方をすれば、私は『事故にあった婚約者を見捨てた女』になる。もし、会社の人の耳に入ったら?親友まではいかないが、結婚式には呼んでいた友達や知り合いの人に伝わったら?こんなに人に話したくなるネタもなかなか無いんじゃないか?そうなったら私は…

悪い方へ、悪い方へと想像が止まらない。嫌な想像が加速しないように、この頃はお見舞いのペースが一週間に一度は必ず行くようにしていた。

何をしていても、集中できない。仕事でもミスが目立ち、上司に真剣に心配されるほどだった。

休日も何をする気にもなれない。土日のうち半日はタクヤのもとに行き、残りの一日と半分は最低限の家事をして過ごす。そして残った時間は、答えの出ない悩みに苦しんでいた。

そんな最中、スマホが着信を知らせた。あの日から、着信が怖くなっていた私は、恐る恐る画面を覗いた。

『ユウスケくん』

タクヤとの共通の友人の名前だ。「バイクの次に相棒」と冗談を言ってタクヤが紹介してくれたのを覚えている。それから、何度も三人で出かけた。タクヤとユウスケくんはバイクで、私はタクヤの後ろ。ツーリングならではの無言のやり取りに、ツーカーの仲ってこういう事かと思っていた。

私は深呼吸をして、通話ボタンを押した。

「もしもし、ユウスケくん?どうしたの?」

「あ、いや…タクヤのこと聞いてさ。タクヤも心配だけど、エリちゃんも心配で…」

「ありがとう、ユウスケくん。最近、ちょっと参っててさあ…。でも、こうしてユウスケくんの声が聞けただけでも、少し元気が出るよ。最近、会えてなかったしね」

「そうだな、いつもタクヤがオレも巻き込んで計画立てて、一緒に遊びに行っていたもんな…あのさ、今度なにか美味しいもの食べに行かない?多分エリちゃんのことだから、マトモなもの食べられてないでしょ?」

突然の誘いに焦りながら、一言一言冷静に言葉を探す。

「気持ちは嬉しいよ、ありがとう。でも、今、ユウスケくんだとしても、二人っきりで会うっていうのは…」

「そんなに気になるかな…。ただ、不健康な食事をしているエリちゃんを、栄養のある美味しいお店に連れて行くだけなんだけどさぁ…」

私が言葉を探している間に、話はどんどん進んでいった。

「はい、じゃあ店の予約をしとくから、何日か候補日をメールしてくれれば、それに合わせるよ。タクヤの状態も知りたいし、じゃよろしく!」

私を心配してくれる人がいる。
ツー、ツー、と通話終了の音が長く響く中で、思い出が蘇る。
タクヤの前で、ユウスケくんは冗談交じりに言っていた。
「もしタクヤと別れて、オレがフリーだったら、エリちゃんを狙うと思うなぁ」それを聞いたタクヤは笑って「残念、絶対に別れないから」と自信満々に返していたこと。

通話が終わってからもしばらくの間、私はスマホを握りしめていた。
ユウスケくんの優しさと心配が胸に伝わり、ユウスケくんの存在が私の心に温かさと安心感をもたらした。
同時に、タクヤへの思いが胸を締め付ける。

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