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#9 レストランを後にして
私はフレンチレストランの個室に座っていた。
お店の雰囲気に合うように、明るいブルーの服を身にまとい、
ポニーテールで楽をしていた髪を巻き、ラメ入りのアイシャドウを塗り、
高めのヒールを履いていた。
自分のためにおしゃれをするのは久しぶりで、なんだか落ち着かなかった。
目の前には、白いテーブルクロスにきれいに整列したカトラリーが並んでいる。穏やかに流れるクラシック音楽が、静かな雰囲気を作り出していた。
その瞬間、私はふと結婚情報誌で見たページを思い出した。
約束の時間ちょうどに、ユウスケくんが現れた。
「やっぱり先に来ていたか。三人で出かけるときも、いつも一番乗りだったからさ。相変わらずだね」
「ユウスケくんこそ、いつもギリギリを狙って来ているでしょ」
「狙ってはないって!いやでも、遅刻はしたことなかっただろ?」
そんなたわいない会話をしているうちに、料理が運ばれてきた。
ひとつひとつ味わいながら、ユウスケくんは会話を広げていった。
「この魚…オレの知っている鱈じゃない…」
「本当…複雑すぎて味わからないけど、美味しいのは分かる…ね?」
「店選んだオレが言うのも何だけど…本当にそう思う」
声を潜めて、二人で笑いあった。それから、思い出話をたくさんした。
魚介料理が出てきたら、新鮮で美味しいと有名な海鮮丼のためだけに、まだ暗い時間から極寒の海沿いをバイクで走った話。
結局その日は海が荒れていて漁ができず、新鮮な魚はなくてタクヤが本気でいじけていたこと。
肉料理が出てきたら、牧場に遊びに行ったとき、タクヤの着ていたライダースジャケットを柵にかけていたら裾を牛にかじられた話。
「おいっ離せー!」と牛と綱引き、結局、牛には勝てず飼育員の方を呼ぶ騒動になった。帰りにタクヤが絶対焼肉を食らうと言って、なぜか超高級の焼肉屋さんに行ったこと。
料理と共に、楽しかった思い出が次々に出てきた。
あの事故の日以来、私は久しぶりに笑うことができた。
コース料理も、最後のデザートになった。さっぱりとしたシャーベットを口の中で溶かしながら、改めてユウスケくんに向き直った。
「今日はありがとう。本当に楽しかった。こんなに笑ったの久しぶりだよ」
「オレも良かったよ。笑っているエリちゃんを見れて…勘違いしないように言っておくけど、オレ、なんとも思っていない人にこんな風に誘ったりしないから」
心臓が強く一拍、鼓動した。シャーベットをすくったスプーンが手元で止まる。自分に「落ち着け」と言い聞かせながら、次に出す言葉を探す。
しかし、ユウスケくんの目を見れば見るほど、その言葉の意味がはっきりとわかってきた。
「ごめん、私を…心配してくれるのは嬉しい…元気も出た…でも、それ以上は…」
私は言葉を切って、視線を逸らした。タクヤの顔が脳裏に浮かんでくる。
「自分が言っていることは分かっているよ。タクヤを裏切っているような気もするし、エリちゃんがもう会ってくれなくなるかもしれない。だから、今答えはいらない。少し考えてくれれば嬉しい」
ユウスケくんの真剣な眼差しが、私の心を揺さぶる。シャーベットをすくったスプーンが、手元で止まったままになった。
しばしの沈黙の後、視線が交錯する。
この瞬間から、私はユウスケくんを意識し始めてしまった。
これ以上、ユウスケくんと一緒にいることに罪悪感を感じ、私は先に店を出て帰ることにした。
「お会計はもう済んでいる。せめて駅まで送りたいけど…気を付けて帰ってね」
ユウスケくんはじっと座ったまま、私に優しく微笑んでいた。
私は早足でその場を後にした。
もし、店を出るときにユウスケくんが私の手を掴んで、ドラマのように抱きしめ、ありきたりな歌詞のような言葉を並べていたら、
私はこの弱った心で押し返す力があったのだろうか。
そんなことを考えながら、駅の化粧台の鏡に映る自分を見て、「顔が赤いのはアルコールのせいだ」と自分に言い聞かせた。