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親の介護で後悔しない為の心構え

介護は育児に比べて終わりがあります。でも、こんなに苦しいのはどうしてだろう?そんな風に思ったことはありませんか。

育児は成長するという楽しみがあります。
介護はどうでしょう。調子のいい時には一緒に食事に行ったり、買い物したり、笑いあったりできますが、大半の人は「もう、いい加減にしてよ。今日は休ませてよ。介護したくなーい」と発狂したくなる時もあるのではないでしょうか。



育児と介護のDNA

介護も育児も誰もが初めて経験します。特に介護は人間の中に親を看るというDNAがないので、私達は四苦八苦しています。それが当たり前なのです。
ご紹介した記事にもこう書いてありました。



そもそも、人間は短命で50歳で人生を終えるのが普通だった。
1947(昭和22)年 男性 50.06歳、女性 53.96歳。
1970(昭和45)年 男性 69.31歳、女性 74.66歳。
「子どもが親の用事をあれこれ、しかも長期にわたってやるようになったのはつい最近で、それもわが国だけの特殊のことだと思うわよ。つまり、DNAにもともと組み込まれていないことをやらなくてはならないってことはものすごい苦痛を呼ぶものだと考えられるわけ。だから、わが子の面倒はいつまでたってもみられるけれども、親の面倒をみることを心が拒否するのは仕方ないと思うわ」

PRESIDENT Omline「介護10年「頼むから、今日死んでくれ」


私が昭和20年代に生きていたら、もう亡くなっていたってことですね。
子育てをするのが人生の最大の使命であり、そこに注力しながら毎日を過ごす。これが人の一生だったことが分かります。

育児のことは職場でも、友達の話の話題にも出てくると思うのですが、介護の話題はあまりされないと思うんです。
皆さんは、日常で介護のお話を家族以外でされているのでしょうか?

介護が日常になったのはつい最近のことで、私達は昭和、平成、令和を経て制度に翻弄されながらも介護をしている訳です。

育児はおばあちゃんの知恵が代々引き継がれていきますが、介護は家族それぞれの形があり、これが正しい介護というものがありません。

介護が未熟で当たり前、介護がしたくないって葛藤するのも当たり前なんです。


介護から見えるもの

介護をしている自分は目の前のことに必死になっていると思うのですが、この介護は育児に比べ終わりがあります。
でもこの終わり、出口を見ようとしていない人が多い気がするのです。

死を見てはいけない
死を口にしてはいけない
生きること、誕生することが良い
死ぬこと、失うことが悪い

人間にとって一番大切なことが二元論にはまってしまいその中でみんなが苦しんでいるように思います。

これからの時代は物質重視から精神性を高める時代だと言われています。介護は未体験のことが多く、私達の器を拡大する為に起こっているようにも思います。

許すこと、手放すこと、知識を得ること、寄り添うこと、違いを認めること、そして愛すること
個々の中にこれを育てていく為に介護という日常があるのかもしれません。


別れの時に心得てほしいこと


親との別れは闘病されていて、余命宣告されていたり、訪問診療を利用されていると最期の時を予測できます。
医師に「今日が峠です」「数日が山です」
こう言われて、仕事を休み家族と過ごす時間を多く持つようにします。

しかし、予期せぬ別れもあります。
そんな時には多くの人が悔やみます。
「お父さんを送りだせなかった。」
「お母さんのそばに居てあげられなかった。」

自分が仕事以外の用事で出かけていたとしましょう。
用事を入れたこと、別々に暮らしているとしたら会いに行けなかったことを悔やんだりします。

親の死と自分の日常には関連性はありません。
外出中に亡くなったとしても、因果関係はないのです。
この点は後悔しないで頂きたいと思っています。

臨終に立ち会っても、立ち会えなくてもご両親は自分の決めた人生を思い切り生きたのです。だから、自分の後悔より、全力で今世を生きて自分の役割を全うしたご両親を祝福してあげてほしい・・・


親の死を祝福できるように

私は母親を看取り、幸せでした。
それは、母親が心配していた家族の不仲が母親を通じてまた一つになったからです。
家族全員で「ありがとう」と言って、お互いに笑みを浮かべていたからです。そして、子供みたいに「お母さん、お母さん」ってみんなで呼び合って、母親に甘えているみたいで嬉しくて、幸せでした。
母は人生の幕を閉じる間際で、自分の天命を果たしたのだと思います。

だから母親が亡くなった時「おめでとう」と知人に言われ嬉しかった。
「お母さん、喜んでくれているよ。お母さんの一生が、お母さんの人生が祝福されているよ。良かったね。」私は母親が誇らしく思い、感謝の気持ちでいっぱいでした。

親の死を祝福できたのは、物事に対してジャッジしない、いつも心穏やかに過ごすことが出来ていたからだと思います。
先に述べたように、「許すこと」、「手放すこと」、「知識を得ること」、「寄り添うこと」「違いを認めること」、そして「愛すること」を完璧ではないけれど少しずつ実践していたからだと思います。

介護はDNAからみると未体験な私達ですが、人として備わっている愛情はひとり一人の根源にあります。

愛ってどう表現し、受け取ったら良いのか私の課題ではありますが、介護以外でも愛を意識した選択をしていきたいものです。

3月の親の看取り意見交換会は
3月2日14時から16時です。
お申し込みは上記のご案内からお願いいたします。

音声でもお伝えしています
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