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大人の女性の発達障害 | 子供時代 後編



子供の頃からとにかく多かったのが「物を落とす、壊す。物や人にぶつかる。ケガする。忘れ物やうっかり事」です。今でも何故か向かい合う相手の足の指を踏んでいたなんてことは日常茶飯事です。距離感とか空間認識の見通しが甘いみたいです。1年生の時によく忘れ物をしてワンワン泣いて家に取りに帰ったことも断片的に覚えています。もう生きていけない!くらいの恐怖を感じていたように思います。 

電柱によくぶつかる小学生

大人しくて運動が苦手でぼーっとしている私がなぜいつも走っていたのかは分かりませんが、とにかく忘れ物や時間に追われていたのか、一週間に7つ習い事をしていたので忙しくて走っていたのか分かりませんが、よく走って電柱にぶち当りました。


気を付けても気を付けても、何故かいつも吸い寄せられるようにぶつかるあの黄色と黒の縞模様の電柱。まるで魔法のようにそこに突然現れたかのように。場数を踏んで頭や顔をやっと守れるようになったら今度は手の拳が当たるようになりました。いつも手をグーにして必死に何かに追われ走っていたので拳が電柱に当たったのです。毎回「ナンデ!?私めっちゃ気を付けてるのに!?」と痛くて情けない気持ちでいっぱいでした。電柱にパンチしたら、負けます。結構な傷跡で、40過ぎた今でも手に白く跡が残っています。さすがに今は電柱にブチ当たることはなくなりました。
そういえば、小学校の教室の椅子や机にも頻繁にブチ当たっていましたので、いつも身体中アザだらけでした。

小学校田んぼ体験で仰向け事件 

中学年になり田植え体験に行った時のこと。5クラス200人ほどいた同級生の中で1人だけ田んぼで足を滑らせパタンと仰向けにコケて全身泥だらけになりました。 アレ?と思った瞬間気がつくと目の前には空が見えたのを覚えています。全身ドップリ泥の中でした。別に暴れていたわけでもなく、地味に真面目にごくフツーに田植えしていただけなんですけどね。


そしてパンツと服を担任の先生が洗濯機をかりて洗ってくれました。最後の集合の時1人タオルにくるまれて、恥ずかしくて、「ナゼ私はいつもこうなんだろう?」という気持ちで先生の話を聞いたのを覚えています。表面的には「またやってもた~」と懸命に明るく振る舞っていました。周囲も「も~ほんまにオッチョコチョイやなぁ」「さすが、何かやらかしてくれるなぁ」と特に気にしてなかったように思います。

住んでいたのは関西地域だったので、そういった出来事は全て貴重な「ボケ」という笑いの原材料として丁重に扱われ、自身も懸命に明るく笑って振る舞っていましたので孤立した覚えはなかったように思います。(気付いてない、覚えてない可能性はありますが)

そういえば、私の子どもも学校で田植え体験に行きましたが、「最初から泥だらけになる前提」でみんな全身泥だらけで泥遊びなどもしたりしてすごく楽しそうで、あぁいいなぁ。と思いました。(正確に言うと、泥遊びは田植えの手前の準備段階での行事。田植えの時に泥遊びはしないと思います。)

DCD (発達性協調運動障害)だったかもしれない子供時代

小学校時代体育は本当に本当に苦手で、何年生になっても努力しても「クラスで一番運動ができない子」でした。特に陸上競技、長縄、鉄棒、体操がダメで、更に壊滅的だったのは球技全般。 (バトミントンだけは何故か普通にできた気がします。球技でもラケット競技はマシだったのかな。) 努力が足りないだけ根性がないだけという空気の中、いや努力してるんだけど、練習してるんだけどナ。。誰もワカッテクレナイ虚しさの中とにかく表面的には明るく苦手なのアハハと振る舞っていましたが体育の時間は苦痛で「体育なんて、運動会なんて、もうこの世からなくなればいい」と常に思っていました。

今思えば、もしかしたらDCD (発達性協調運動障害)だったのかな?と思いますが確かめる方法がないので分かりません。

私の子供たちはというと、運動に関して難しさはないようで、むしろ楽しんで活躍すらしていて、私からは彼らにいつも尊敬の眼差ししかないです。ただコケたりぶつかったりは多い方かもしれないし、姿勢や筆圧などに関してはDCDは無関係ではないかもしれなくて適切なサポートが必要な可能性もあるかもしれないと見守っています。

唯一人並みにできたスキーと水泳

小学生の時に水泳はスイミングスクールに送られなんとか泳げるようになり不得意感は消えました。スキーは家族でスキー旅行に行くときに1人だけ滑れないと色々困るということで、ある小学生の冬、スキー合宿なるものに送り込まれ、一週間毎日朝から晩までスキーの特訓を受けましたが、とにかく私だけいくら練習してもできるようにならず、一週間毎日毎日みんなとは別行動で麓で専属のインストラクターが付きっきりで教えてくれましたが、焦るばかりで朝から晩まで一向にできるようにならず、知ってる人もいない中毎日劣等感でいっぱいで涙が溢れたのを覚えています。 

でも一週間後の最終日、時間切れで諦めて帰る前に一回だけ滑れたんです。私は無事終わって心底ホッとしました。ずっとなんだかインストラクターに申し訳ない感じがしていたので。 「高いお金出した」と親に言われていたので親にも罪悪感を感じていました。そういう訳でスキーも滑れるようにはなりました。親の「高いお金払ってスキー合宿行かせた甲斐があったわ」の言葉通り、晴れて家族旅行のスキーの時に何とか家族に迷惑をかけずに一緒に行動できるようになり大人になる頃には不得意ではなくなりました。あれだけ何やってもダメだったのに、スイミングは1年、スキーは一週間でできるようになったのは救いでした。スイミングやスキーなど根気よくスポーツ専門の先生がコツを教えてくれたのも大きかったのかもしれません。スイミングやスキーが何か共通点があるのかもしれません。

ではその体験はよかったか? 結果的にスキーと水泳だけお金を注いでもらった分できるようにさせてもらったわけですが、水泳は一年かけて少しずつ専門的なスタッフのもとでステップアップができて良い体験だったかもしれませんがその日はいつもその後もう1つ習い事があったので、しんどかった記憶があります。スキーのその過程の体験は「成功体験の積み重ね」とはほど遠く、私の場合は知らない場所と人に放り込まれてギリギリまで自分を追い込み疲弊する体験の積み重ねに他ならなかったです。

習い事過多な小学校時代

週に7つ習い事をしていたと書きましたが、よく親は口癖のように「習い事は託児所代わりに習わせてんねん。こっちからしなさいと言ったことないねん。全部あの子がやりたいっていうから習わせてんねん。」と周囲に話していました。(教育ママ的な感じではないと言うことを言いたかったんだと思います。)もちろん、良かれと思ってやっていたことなのは理解しています。ですが毎日いろいろなことに必死でクタクタだった私がどうやってそれをこなしていたのか、今では想像もつきません。覚えていません。それも小学校時代の記憶がほとんどない理由の一つだったのかもしれません。そうやって常に何かに送り出されていました。色々な子供や親や家庭そして地域環境があり習い事事情は様々で、その子に適していたら、一概に習い事をたくさんすることがダメなわけではなくて、「親の願望や利益のための活動になっていないか、本当にその子の意思なのか、またその活動がその子にとってポジティブに働いているのか、体力があって無理のない範囲でやれているのか、大人も子供も無理してないか」を考えることが大切と思っています。

今思うと、私の両親ももおそらく特性が色々あり、子育てが苦手な上に日々の生活を必死に送りながら私の相手をする余裕がなかったのかもしれません。家で煮詰まってキレられたり殴られるよりはそうやって送り出された方が良かっただろうから、ある意味その時の親にできた最善の選択だったのかもしれないし、実際費用を出し続けるのは大変だったとは思います。

「可愛い子には旅させよ」が口癖だった両親は小学校が長期休みに入る度にそうやって資金はいとわず、合宿と名のつくものに私を参加させたり、私からしたら親しいわけではない、親が仲良くなってほしい「ドクダミ甘やかしすぎじゃない」という遠く離れた親戚に私を送り出したのでした。ストレス太りの波もこの小学生の頃から始まりました。(私は明るく振る舞っていましたし、親戚も良かれと思って協力してくれたのだろうし、実際子供を預かるのは大変だったとは思います。) 全て無理やりではなかったように記憶しています。最終自分が行くと判断したと記憶していますが、本当はそう親に仕向けられた可能性があったことは今なら理解できます。

今振り返るとずっと必死で一息つく暇のない小学校時代だったみたいです。(周囲からは明るくニコニコしたボーッとした何の苦労も知らない恵まれた子にしか見えなかったと思います。実際そう言われていたので。)

運動能力は中学→高校に上がるに連れ「マシになっていった」感じで、大人になるとアウトドアなど運動能力に関係のない軽い運動くらいは楽しめるようになりました。 社会人になると一人暮らしの時はよく自分でウォーキングをしたり、軽いジョギングをしたりする時期もありました。今思えばあんなに仕事で忙しくて余裕のなかった一人暮らしの時代は、今振り返るとそれでも「一人」であるがゆえ自分を整えるエネルギーの余力があったのだなと思います。

大人が余裕を持つということ

今は3人の子育てで忙しく余裕のない日々ですが、心地よく穏やかな子育てを実践している周りの子育て世代の友人たちを見て「敢えて、わざと」余裕や余力を持つことは大人としての責任なのだと今はそう学びました。余裕なんて意識しなかったら到底自然発生はしないものだと。(私にはなかなか難しいですが、それでも意識すると違います。)今の時代、一人であろうが家族持ちであろうがみんな必死で、「余裕」はわざと作らないと生まれない気がします。

大人が頑張れば頑張るほど、その背中を見て次は子供も頑張る!の空気を作ることになるので、頑張らない背中を見せることも「ありのままでいいよ」と伝えることができるので貴重で大切とも思います。少なくとも、そんな大人がいてもいい。大人が余裕がなくなって、一番しわ寄せがいくのはいつだって子供達、弱い立場の人間なのだから。大人一人一人に余裕がなくなると、社会に余裕がなくなり、そのしわ寄せはやっぱり社会的弱者にいく。だから病気でも健康でもあえて「頑張りすぎない」で「余裕を持つ」大人でいたいなとそう願います。

なぜなら、当時立ち止まる余裕のある大人が周りにいたら、小さな子供ドクダミはきっともっと救われていたとそう思うから。

また今度続き、思春期編を書きます。

前編はこちら↓


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