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東京に大雪が降ったあの日【nemo-olympus photo #3】

2022年1月6日。今年最初の木曜日、東京を数年に一度の大雪が覆った。僕が上京して以来、こんなに祝祭感に包まれた雪の日は初めてだった。

下宿の外に出ていきなり目に入るのがこの光景だったもので、驚かずにはいられなかった。慌てて部屋にカメラを取りに戻った(滑って転びそうになった)。
雪の日には、普段は見えない足跡が見える。道というものはこんな風にしてみんなで共有して日々踏みしめているものなのだと教えてくれる。
雪が降っているというだけで、普段気にも留めない路地のパースがやけに美しく見える(pathのperspective)。
無機的な人工物が、空から降りそそぐ雪によって自然に取り込まれていく。
雪が空間を満たすことで、日頃眺めているのと同じ景色が含む空間の空白性を思い知る。
雪の白は光を最も反射する色。雪が積もると光が拡散する。
トラムと雪。
ここは雪国か(東京都豊島区大塚です
凍りついた早稲田グランド坂で寒さと転倒の恐怖に震えながらシャッターを切る。雪が撮像素子に当たる光を柔らかくする。
葉を落とした樹木に蕾がついたように見える。
大学のキャンパスに流れる時間が凍りついている。
いまは形あるものでも、翌朝にはなくなってしまう。いつか自己存在と自然世界との境界線を保てなくなる運命にあるという点で、雪だるまとニンゲンは究極的には同じもの。
open. こんな日でもカフェは公共的社会に対して開かれている。看板が手すりに寄りかかっているのが気の抜けた感じになっていて良い。
赤と白と黒。こんな日に神社に引き寄せられてしまうのは、雪が持つ祝祭性と神社が持つそれがシンクロするからだろうか。
誰かが神に供えたのだろうか。翌朝には、消えてなくなってしまうのに。

翌日の朝は東京中の道が凍り付いて大変なことになっていたが、翌々日には雪は消えてなくなり、みんな雪のことなんて忘れてしまった。

カメラの撮影データは確かにあの日の光景を覚えている。写真を撮る意味というのはこういうところにあるのだと思う。


機材はいつも通り。
カメラ:OLYMPUS OM-D E-M1 mark ⅱ
レンズ:tamron 14-150mm f3.5-5.8


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