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【からだ#31】One Heart流 「さとり」の探求。内なるマスターと出会う旅。心の静寂に触れる
こんにちは。
ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。
時が経つのが早いですね・・・。
気づくともう10月が終わろうとしている。
きっと年末まで”あっという間”だし、今年はクリスマスやお正月感が今までよりも薄く感じるくらい、「忙しく」過ぎていくんだろうな、と思う今日この頃・・・。
名古屋の実家を”空き家”にするまで、もうあと少し・・・。
先日、仏壇を処分したのですが、その時にまたあらたな”気づき”があったので、近いうちにシェアしますね。
さて、今回は、有料マガジン『”差”取り(さとり)プロジェクト!ひとつの世界で生きていく』のnoteになります。
前回のnoteはこちら。
”One Heart流”に語っていますが、このマガジンを書いていくにあたり参考にしているご著書があります。
✧˙⁎⋆エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」
今日は、ブッダが行った”苦行”と「さとり」についてと、”ほんとうの自分”のご主人って何?というお話です。
からだについてさらに深く掘り下げています。
最後にわたしから質問がありますので、考えてみてくださいね。
✼••┈┈┈┈••✼
1.ブッダは、苦行をやめた後に悟った
わたしたちは「喜び」、「痛み」「呼吸」「飲食」「排泄」「睡眠」、「パートナーを求め、生殖しようという本能」「生死」などのからだの諸機能を、すべて動物と分かち合っています。
自分たちの動物的な性質の根底にある、「神性」という真実を見つけることはおろか、動物的な性質をあるがままに受け入れ、楽しめるほど、人間は強くなかったのです。
それで人間は、「からだと無関係でいること」を決め込んだのです。
つまり、「わたしはからだである」のではなく、「わたしはからだを所有している」と、考えることにしました。
宗教が普及するようになると、「わたしは、わたしのからだではない」という信心もあいまって、からだと断絶する傾向に、ますます拍車がかかり、肉体を否定することで、「神」「さとり」を見いだそうと、心血を注いできました。
彼らは、からだを罪深いものとみなしていたので、からだを衰弱させよう、罰しようと、自ら、からだを痛めつけさえもしたのです。
あのブッダでさえ、6年間にわたる断食や極端な行をとおして、肉体の否定を実践したと言われています。
しかし、実際のところ、彼がさとりをひらいたのは、このような苦行をやめたあとです。
今日の内容は、いわゆる仏教などの、「行」に対する考えとは違った見方のお話になると思います。
こういった厳しい「行」がダメなのではなく、そういう方法もあるけど、もっと”別”のやり方で、「さとり」を体験することはできる、と書いています。
それは、肉体を否定しないこと。
わたしは、呼吸重視のストレッチをしているときに、からだ中の細胞が、喜んでいる感覚になることがあります。
もしかしたら、「ほんとうの自分」と、からだの細胞は、直結しているのかもしれない、と思いました。
✧˙⁎⋆みなさまはご自分の身体のイメージ、どのように感じていますか?
わたしたちが普段自分に感じているイメージ(セルフイメージ)というのは、実際のご自分の身体の状態とイコールである、ということ。
ちょっと信じられないかもしれないけど、興味あったら読んでみてね。
自分がいい気分になると、からだも同じように、心地いい。
それは、リラックスしていて、力が入っていない状態になる、ということ。
わたしたちは、思考重視のとき、”なんとかしないと”とか、”こうでなければならない”といった考えにとらわれがちで、流れの速い川を、一生懸命上っているような感じで、がんばってしまいます。
これも、無意識で行っているので、わからない状態でやっているのですが、なんか力んでるな、と感じたら、たぶん川を上っています、笑。
呼吸の状態が教えてくれるときもあります。
呼吸が浅い時。
気持ちよく呼吸できていないと感じる時。
「ほんとうの自分」とつながったとき、きっと、からだもリラックスできていて、心地いい状態なのではないかと思います。
ではここで、ブッダが行った「さとり」への道と本書でトールさんが伝えている「さとり」についての違いを考えてみました。
仏教における苦行と悟り
ブッダは、はじめ、厳しい苦行を通して悟りに達しようとしたのですが・・・。
自らの身体を極限まで追い込んで、精神的な解脱や悟りを得ようと努力しました。
それは、食事を制限したり、身体を痛めつけたりする方法などが修行の一部になるような厳しいものでした。
しかし、ブッダは修行を重ねていく中で、苦行そのものが悟りの道ではないと気づいたのです。
身体を痛めつけることで精神的な目覚めが得られるわけではなく、むしろ心と身体のバランスが崩れてしまうことに気づいたのです。
その後、ブッダは苦行をやめ、「中道」の大切さを知りました。
これは、苦行や快楽のどちらにも偏らず、心と身体の調和を保ちながら生きるという教えです。
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