2025年、何を意識していくか(n=1)〜個人的な思い〜
こんにちは。Kiwi PR合同会社の植田聡子です。
改めての自己紹介。ひとり会社で起業して5年目になります。
会社の3つの柱は、(1)観光・地方創生コンサルティング(2)広報PRコンサルティング(3)キャリアコンサルティングです。
趣味は旅行・美術館巡り・カフェでお茶・スポーツ観戦です。
漱石山房記念館での雑感
初詣の帰り道、夏目漱石が晩年過ごした地にある漱石山房記念館に立ち寄りました。作家の記念館って、薄暗い旧家みたいな場所や無機質な建物が多いのですが、ここは窓が多く、日差しもたくさん入るカフェなども併設されており、リピートしたくなる場所として、勝手に気に入っています。
漱石作品は10代の頃に少し読んだだけ、千円札でお見かけするような関係が長かった程度です。それでも、感受性豊かな10代に読んだ「それから」「こころ」などは、今もずーんと心に留まる作品の一つ。漱石は49歳で病死するのですが、これらは40代で書かれたもの。漱石の「前期三部作(三四郎・それから・門)」「後期三部作(彼岸過迄・行人・こころ)」に描かれる、高等遊民のドロドロした心情は、10代の自分にはあまりにも遠くて、大人の、自分とは違う世界の話のように思っていました。
でも、50代の今、作品を読むと、解像度が全く違ってきます。早稲田や神楽坂、市ヶ谷や雑司ヶ谷など、ここを漱石も歩いたのかなと思う街にいるからかな。亡くなった漱石の年齢を自分の年齢が超えているにも関わらず、現代の50代は良くも悪くも「幼い」ことに愕然とします。凡人の自分は、何も成し遂げていないし、社会の役に立てるようなこともできていない・・・
それでも漱石よりも少し長く生きている訳だから、今からでも誰かの役に立つこと、誠実に仕事をしていこうと、こそっと心に誓いました。
「三四郎」は当時の朝日新聞で連載されていた小説です。熊本の高校を出て東京へ向かう汽車の車中で三四郎に対する先生の言葉。東京へ行く期待と不安、そして東京へ行けるという選民意識に釘を刺すような言葉でもあります。既成概念に捉われることへの忠告のような。
インターネットが一般に開かれ、AIが進化して、自分が10代の頃と比べても明らかに「考える時間」が減り、「調べる時間」が増え、すぐに答えを導き出せるような気がしてしまう。実際にそれが科学の進歩であるのは理解しているのだけれど、「頭の中」をカスタマイズして、「誰かの言葉」「誰かの情報」だけに自分の頭の中を占拠されないようにしよう。これもこそっと誓う一つ。
これは一人起業やフリーランスの方には理解できるし、サラリーマンの方にとっては「何言ってるんだ」と思われるかもしれません。それでも、私たちのように「個」で働く者にとって、「何を大事にして働くのか」は非常に大事なことだと思っています。私にとってそれは「何のために働くか」「誰と働くか」が非常に大きなウェイトを占めています。そのことを通すために、独立したと言えるのかも・・・価値観を共有して、それを尊重できることを最優先しています。
これはまだ読んだことがないのですが、漱石が学習院大学で学生向けに行った講演がベースとなっています。「自己本位」を実現するために、自己の内面を深く掘り下げ、自己の存在と意識を確立するということ。漱石がイギリス留学した経験、当時の日本の状況を考え、「西洋の真似をするだけでなく、自分たちの個を尊重していこう」というのが、私が展示などから理解した解釈です。読んでみないと。
とかく同調圧力が強く、空気を読むことに長けている日本。私もずーっとそうやってきたし、批判的な思考も欠けていると思っています。批判が苦手で、同調している方が楽なのですが、クリティカルシンキングをもっと意識していきたいと思っています。経験や直感だけに頼らずに、客観的な視点で分析して問題解決していくこと。
具体的に「この資格取るぞ」「売上はこのくらい上げるぞ」「これを達成するぞ」という目標の前に、まず何を意識して過ごすかを先に考えてみました。
でも、それは全て先人が100年以上前に我々に伝えていること。そういう意味で、今年はたくさん読書するぞ、も加えておきたいところです。