えいがさきは魂が震える神の映画。原点であるソロ路線の追求が魅せる虹ヶ咲だからこその神威────追いかけて、追いかけて
「どこにいても君は君」
本当にその通りだ。こんなにも分かりやすく美しく一言で虹がかかる素晴らしい言葉があるだろうか。
君は君であってそれ以外の何者でもない。
仲間の君もライバルの君も全部君は君。
ステージでは1人だけど孤独ではない。
主題歌のタイトルだけで本質が守られていることを感じさせてくれる。
だから本当に嬉しかった。
こんなにも喜びを感じられることがあるのかと。
俺の心にはいつだって""虹""がかかっている。
私は神威に触れた。この神の映画【ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編第1章】によって。
本当に神が宿っていた。やはり虹ヶ咲は信じられる。本当に心からそう確信できたし虹のオタクとしてこんなにも良質なものを接種できることを魂で喜んだ。
何よりも特筆したい点としては「原点の追求」である。
虹ヶ咲だけが抱くソロ路線という方向性を今一度しっかりと向き合い存分に真価を発揮してくれたこと、本当に心より嬉しい。
「仲間でありライバル」この真髄は孤独な戦いの中でこそ光を放つ。
同好会の中で順位を争わせるという一つ扱いを間違えればギスが吹きすさぶ展開においてもなんら不安に思うことはない。
彼女たちは本質がブレていないのでちゃんとエンタメでえりドラマへと昇華されている。
分かるか? 沖縄でのスクールアイドルデスゲームを経て「仲間でありライバル」という結論に辿り着くのではない。
既にその答えを持って戦いに挑むのだからみんなの迷いなく本気のソロライブを堪能することができた。
これこそが全身を撃ち震わされたえいがさき最高の要素である。ソロ路線の真髄、十把一絡げにされてはならないものを真に理解している。
そこに虹ヶ咲式領域展開ライブが合わさるということが何を意味しているのか分かるか。
そうだ、真なる神の映画であることの証明に他ならない。
本編アニメ個人回でのソロライブシーンはカタルシスに重きを置かれていた。
各々がソロアイドルとして活動するという想いの具現。決意による魂の解放をライブで表現していた。
逆に言えばそういった迷いの払拭や覚悟の可視化というものは全て今までのアニメで済ませていることになる。
それはつまり全員がデバフのかかっていない、最初から全力全開のライブを浴びられるということだ。
ライブに至るまでに「不必要な溜め」がない。それでいて「不自然な流れ」もない。
虹ヶ咲のライブは魂の解放なのだ。各々が自分だけの夢を抱いてステージに立つ。決意と覚悟の具現化である。だからこそ見る者の心を動かせる。
この覚悟を先陣切って示してくれたのが我が自慢の桜坂後輩だ。
しずくの先手必勝大暴れライブは始まり方の時点でこれを確信させてくれた。
全力全開で展開される大女優オードリー桜坂後輩を内包したスクールアイドル桜坂しずくの姿を見て頬を伝ったものは魂の救済に他ならなかった。
ああ、今回はみんなデバフのない本気のバトルライブなんだ。これをぶちこまれ続けて俺は死ぬんだな、と。
流れている映像が走馬灯なのかどうか区別が付かなくなる寸前でその真理へ到達した。
虹ヶ咲がずっと好きでソロ路線に愛を抱いてきたオタクならばしずくのライブだけで全てを理解することができる。
本質的に虹ヶ咲1期の魂を継いだ映画であるということを魂レベルで感じられるからだ。
恥ずかしながら私は映画を見るまで若干の不安があった。
果たして一体どんなものが飛んでくるのだろうか。1期のソロ路線が好きだからユニットとかなんとかで各々の掘り下げが少なかったら苦しいな、などと杞憂を抱いていた。
しかしなんのことはなかった。
やはり信じられるものは虹ヶ咲のみ。登場人物を絞るために映画を分割するというあまりにも合理的な手段は本質がソロ路線な虹ヶ咲だからこそできる最強の武器。
事実しっかりと各々にちゃんと出番があり強みがあり美しさに溢れていた。
特にライブなしであんなにもああやっぱりかすみんよとなれるかすみんが放つ圧倒的かすみん最高☆ワンダーランド☆は圧巻だった。
元来持っているハングリーさに加え周囲に気を遣える視野の広さ、ちょっと空回りしたりする時もあるけどそこさえも魅力的な部分。
根底的にかすみんの魅力となっている要素を余すとこなく見られてっっっっっっっっっぱかすみんよ以外の感情は消え失せた。
やはりとびっきりキュートに笑うかすみんが本当にかわいいという当たり前の事実を改めて噛み締められたことはでかい。しかもまだライブを残している。
しずくも最初のライブでぶっ飛ばしてきて出番を危惧させられたがやはりそんなことはなかった。
夢に向かって真っ直ぐなひたむきさがその後も存分に出ていたのは非常に良い点であった。
ちゃんと迷いと弱さを素直に打ち明けられるようになっているという所も1期のことからの成長と変化を感じられて口角の上昇は止まることを知らなかった。
エマさんと天ちゃんのくそでかでかペアライブも非常に「仲間でありライバル」という本質、そしてエマらしさを捉えており本当に良かった。
一緒にステージへ立つが目的は一緒にライブをすることではない。
""届ける""ことこそが真の目的。今は遠く離れていて隣にいないけど大事に想う人のために歌うというステージで海を渡ってやってきたエマさんに敵うものなどいない。
そのために親身になれて本気で支えられる。更にその上で自分も本気のステージをやることができる。
エマさんという生物の魅力、そのなんたるかがあまりにも存分に詰まっていた。
ランジュと歩夢はまさか海を渡ったという経験がそのまま関係性になるとはといった感服の味付けであった。
孤高で最強だったランジュが尊敬できる仲間を得たという成長は実に美しいしやはりランジュは光らせるために曇らせてなんぼだということを改めて実感できた。
これこそ正に俺が本当に見たかった虹ヶ咲だ。滴る涙は幾度となく同じように虹ヶ咲へ救われてきたことへの感謝。救済のリフレイン。
ラブライブの映画ではない、俺は虹ヶ咲の映画を見ているんだ。そんな至上の喜びを噛み締めながら過ごす1時間は死後至る救済の前借りと言っても過言ではない時間であった。
一刻も早く次なる戦いに挑みたい。そんな想いだけが全身に満ち満ちていくのを感じられた。
特に次作は最初からデバフのない本気の朝香果林を見られることが期待できるので本当に楽しみすぎて既に気が狂いそうである。
【VIVID WORLD】ばりにぶちぶちにぶっちぎった朝香果林を早くスクリーンで浴びたい以外の感情などこの世には必要ない。
そして大好きの化身である優木せつ菜の本気もまた見られるであろう事実は高く果てなく明日へと魂を導いてくれる。
ペカペカ笑顔で1,2Jump!も見たいし最強顔面パワー全開背景大爆発でもなんでもいいのでもうスクリーンで本気の優木せつ菜を浴びたい以外に世界の理というものは存在していない。
何よりも、何よりもだ。
ソロ曲の存在はあまりに巨大だ。
映画で一回聴いたきりだが今回のやつは確実に""戦える""側のソロ曲である。特に彼方ちゃんとしずくが。
俺が「戦える」と言うことは""ガチ恋""できるという意味に他ならない。
これに関してはちゃんと歌詞を見てからになる。リリースが待ち遠しいな。そうしたらまた会おう。
キャラ魅力の魅せ方という点においてはやはりライブ演出とキャラソンの歌詞とは切っても切り離せない。
なによりもだ。彼方ちゃんのソロ曲は相当熱い。
一番だけでもかなりのガチ恋味がした。こんなに嬉しいことがあるか。
故に映画だけで大好きな彼方ちゃんの話を済ませるにはあまりに惜しい。まだまだもっともっと燃料を浴びれば味が染み込んでくる。
今はまだ早計だ。キャラソンの歌詞を吸うことでどんどん美味しく実る。
それはそれとして一番好きな女の全裸風呂を吸引できたという事実はこの人生において生きている意味があったということで特筆しなければならないことである。
このようにあらゆる点でとことん虹ヶ咲らしさを感じさせてくれて本当に嬉しくなれる最高の作品であった。
やはり本気で魂を燃やせるのは虹ヶ咲なわけ。次はどんな「大好き」がぶちこまれるのか、想像するだけでニヤニヤです。
ファンとしてこんなにも未来に希望を持ちながら楽しみに待てるということは咬福以外の何ものでもない。
完結編だからこそポジティブな気持ちで迎えたい。終わりは寂しいがそんなものは区切りの一つに過ぎない。
虹ヶ咲は終わらない、これは本質的な話だ。
それを一言で言えば「どこにいても君は君」というわけだ。
そして、それはつまり「どこにいても俺は俺」であり「あなたはあなた」であることも意味している。
いつだって夢が僕らの太陽であるように虹ヶ咲こそが私の道標に他ならない。
ああ、ありがとう虹ヶ咲。
何年先になるか分からないが心穏やかに完結まで見守ることができる。
そして、新たな生きるガソリンも与えてくれてありがとう。
今度はソロ曲が出たその時に会おう。
俺の描く"NEO MAP"はそこにある。