幻想庭園/後楽園/2024年11月28日/メモ
岡山の3大庭園の一つ(らしい)である後楽園の幻想庭園に行ってきた.
詳細を以下に示す.
幻想庭園の見どころ
千入の森のライトアップ
紅葉が彩る「千入(ちしお)の森」がライトアップされ、幻想的な景観を楽しむことができる。彩り和傘の展示
広大な芝生エリアに和傘のライトアップが施され、色鮮やかな空間が広がる。紅葉の小径
紅葉をテーマにした映像が西外園の園路や松林に投影され、秋の趣を感じながら散策が楽しめる。灯りの小径 和傘アート
地元小学生が「岡山」をテーマに描いたミニ和傘が竹林横に展示され、温かみのある光の演出が施されている。
幻想庭園の歴史
「幻想庭園」は2000年に後楽園築庭300年を記念して初めて開催された。その後、季節ごとに異なる演出を行い、定期的なイベントとして定着した。
夏の幻想庭園:8月上旬から中旬にかけて開催され、園内全体がライトアップされるほか、浴衣特典などが用意される。
秋の幻想庭園:11月中旬から下旬にかけて開催され、紅葉のライトアップが見どころである。茶会や伝統芸能の公演など、秋の風情を楽しめるイベントが含まれる。
春の幻想庭園:4月下旬から5月上旬にかけて開催され、桜やツツジのライトアップや和楽器の演奏が行われる。
後楽園の歴史と背景
岡山後楽園は1700年(元禄13年)に岡山藩主・池田綱政によって築庭された。当初は「御後園(ごこうえん)」と呼ばれ、藩主の休息や賓客の接待のための大名庭園として設計された。その後、「先憂後楽」(先に憂い、後に楽しむ)の精神に基づき「後楽園」と改名された。これは、藩主が民の幸福を優先し、その後に自身の安らぎを楽しむという思想を象徴するものである。
また、後楽園が城の後方に位置している理由は、城の前面が旭川や港という公的な業務に適した場であったからである。旭川は天然の柵として侵略を防ぐ役割も果たしていたと考えられる。一方で後楽園は、藩主がリラックスするための私的空間として設計された。物理的な距離を取ることで、藩主が公私を切り替える場所として機能していたと推測される。
後楽園の名前の由来 → 先に憂いあとに楽しむ
「先に憂い、後に楽しむ」という言葉は、中国の古典『范仲淹(はんちゅうえん)の岳陽楼記』に由来する言葉で、以下の精神を表しています。
意味
先に憂い:
自分自身のことよりもまず世の中や他人のことを考え、困難や課題に立ち向かう責任感を持つ。
後に楽しむ:
社会や他人の安寧・幸福が実現した後に、自らの楽しみを取る。
背景
この言葉は、為政者(政治家や指導者)のあるべき姿を説いたものです。つまり、まず自分が率先して困難な状況に対処し、社会や組織全体が安定・発展した後に、自分自身が楽しみを得るという、**「公より私を後にする」**という利他の精神が根底にあります。
後楽園との関係
岡山後楽園の名前は、この「先憂後楽」の精神に基づいて名付けられました。これは、藩主としての責任を重んじ、まず民の幸せを優先し、その後に自身が庭園でのんびりと過ごすことを楽しむ、という思想を象徴しています。
この考え方は、現代でもリーダーシップや奉仕の精神として広く受け入れられており、例えば企業経営や社会貢献の場面でも参考にされることがあります。
「Only a life lived for others is a life worthwhile.」意味: 他者のために生きた人生こそ価値がある。アインシュタイン