奢る奢られ論争
たびたび議論が盛り上がる奢り奢られ論争に関して感じていることをつらつら書いていこうと思う.
文化
そもそもの起源として、「女性に対して男性が奢る」というのは「男は度胸、女は愛嬌」時代に生まれたものだと思う(文献調べてません、思ってるだけです)。女の人が文字を書けなかったり、勉強させてもらえなかったり、外で働くことが異常とされていた時代の話。その時代には、当然女の人が稼ぐことは社会的に“不可能”であったのだから、お金を持っているはずがない。よって男側が奢るのは“当然”、あって然るべき文化だと思う。
しかし、今の現代で女の人が職につき生活費を稼ぐことは“不可能”だろうか?
否である。つまり、文化的には奢る奢られ論争が勃発すること自体、時代遅れであると言わざるを得ないだろう。
私の意思
勘違いして欲しくないのは、感情から否定している訳では無い。感情論で言えば、私はむしろ奢ってもいいと思う(カッコつけたいし)。ただ、奢るタイミングや人は選ぶ。付き合いたい人とのデートなら奢らないし、ヤリたいだけのやつなら奢る。要は関係性とメリットの問題だ。
まずは奢るメリットについて。奢る男、奢らない男が存在し、奢る奢られ論争が存在していることをほとんどの男が認識している以上、男の人側のメリットとしては女の人の好感度の維持程度だろう。女側の奢る“べき”というのは言い換えれば奢られて当然と思っているということだ。つまり好感度の向上は見込めない。よって“好感度を下げない”くらいが関の山という訳だ。こう考える場合、このメリットを活かせるのはヤリたいやつとのアポくらい、お付き合いをしたい女の人に対しては逆に奢らないことで価値観が合うか、擦れてないかのテストくらいにしか使えないだろう。
奢る奢られるの主張
さて、前節で女性側の主張のひとつに“奢るべきである”というのが出てきた。様々な理由付けがされるが1番有力なのは、美容にかけるコストが大きいということだろう。それ自体を否定することは簡単だが、もっとわかりやすい事を書こうと思う。
私は大学生時代、お酒を提供する飲食店での接客系アルバイトをして、お金を稼いでいた。その時、私の中で(店全体でも)少々問題になっていたのは態度のでかい客だ。アルコールを提供していることもあり、陽気な人に絡まれることは日常茶飯事。しかし、それくらいなら何も言うことは無い。問題なのは、タメ口で話す人、怒鳴る人、横暴を働く人だ。こういう人は大概が腹の出たハゲたおっさんか、不自然な若作りが隠しきれていないオバサンだった(まあそこはええ)。何が言いたいかというと、サービスを受ける側、何かをしてもらう側がその質について主張するのは違和感を感じるってこと。お金を払ってるとはいえ、お客は何か(サービス)をしてもらう側だ。
そういう意味では、男性のエスコートにとやかく言う女性も、店員にタメ口で話す迷惑な人も根本の部分では同じと言えないだろうか。
書かなくても分かるだろうがそれは相手だろうと、とやかく言われるものでは無い。店のサービス精神も、男女関係における男のエスコート精神も、してあげる側の心得であってしなきゃいけないわけじゃない。
心得
男であろうと女であろうと関係ない。
恋愛関係でも仕事関係でも関係ない。
奢りたいヤツに奢る。それ以上でも以下でもない。
そんな心の在り方が美しいと思いました。
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