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人生学生編、遂に完結

変なこだわりだが、私のnoteの記事のタイトルには「。」を付けていない。
記事の一つ一つは、人生のたった1ページ、たった1コマに過ぎず、終わりのないものだからである。

この3月で大学を卒業した。
人生学生編、完結である。

常々、私は、「“楽しい”は初めからそこにあるものではない。自らの手で創り出すものである」と唱えてきた。
それは、周りの人に伝えたいメッセージであるとともに、私自身が日々心から感じていることであり、時として自分への戒めの言葉でもある。
高校2年の時、後輩の入学式での在校生代表の歓迎の言葉としてお話しさせていただいたことが、まるでブーメランのように自分の心にも反響して、この言葉を私の心の糧とするきっかけになった。
中学1年から高校1年の4年間で、私が感じた素直な言葉だった。
大学生活では、“楽しい”はそもそも存在しないどころか、創り上げた“楽しい”さえ奪われることがあると学んだ。
だからこそ、自分の人生を少しでも豊かにするために、“楽しい”を創る努力を怠らないことの大切さを身に染みて感じた4年間でもあった。

“楽しい”を創る努力は、確かに怠らなかった。
でも、勉強は多少怠った。
反省はしているけれど、大学生活楽しかったし、単位を落としたこともあったけれどなんとか4年で卒業できたし、最終的な成績は存外悪くなかったし、後悔はない。
卒業論文に関しては、途中、何もかも嫌になって一刻も早く大学生を終わらせたいと思ったこともあったけれど、そんなことも今となっては青春の1コマに過ぎない。

コロナ禍前にはハワイ島に行った。
水平線と地平線しか空を遮るものが無い世界を初めて知った。
約1週間の滞在期間中、虹を毎日のように見た。最初は感動していたけれど、だんだん驚かなくなっている自分に驚いた。
明らかに日本でいうところの違法薬物を使っている人たちにも出会った。強烈な社会勉強になった。おかげで、お酒に酔っている人と薬に酔っている人をある程度見分けられるようになった気がする。

円安真っ只中には、時は金なりと言い聞かせてスイスにも行った。
ただでさえ物価が高いスイス、20時ごろまで明るくて日は長いのにお店の営業時間は18時ごろまでと短くて、仕事に対する几帳面さや堅苦しさはほとんど感じられなくて、「労働環境もホワイトじゃん」って羨ましくなったりもした。
英語が公用語ではないスイスでは、ハワイのように英語が上手く通じないこともあるけれど、みんな良い人だった。
鉄道の車掌さんは、私たちを日本人と知るや否や「日本のアーティストを知っているよ」と言ってBTSの話をしてくれた。「They are Korean.」って中学1年生レベルの英語で訂正できたと思いたい。嵐の布教をしておいた。カタコトの英語で。

国内は、沖縄の離島巡りと、金沢に行った。
言葉が通じない国の旅行をクリアした後だと、言葉が通じる国内であればどこに行っても無敵っていう気持ちになれる。
何があったって、言葉と多少のお金さえあれば大抵のことは何とかなる。

コロナ禍で、どこにも行けない期間もあったけれど、それでも何とか、学生という肩書を満喫した。

社会人になる日を間近に控えた今、もちろん不安や心配が全くないというわけではないが、所詮大学生の想像できる範囲の不安や心配などどうにでもなるに違いない。社会人経験のない大学生の想像できることなんて、社会人ならほとんどの人が乗り越えられた壁であるはずなのだ。
きっと、私の想像の及ばない範囲に苦労や困難があるに違いない。
だから、もはやそれは不安や心配などといった浅はかな感情で補いきれるものではなく、「何でも来い」という強がりにも似た覚悟になって、心の中に留まっている。
「私はどんな社会人になれるんだろう」という期待感と、「何でも来い、楽しんでやる」という覚悟。それだけだ。

さあ、人生社会人編は目の前だ。
ここから。
一歩ずつ、進んでも、立ち止まっても、戻っても、迷っても、それが私の生きる道なのだと信じて楽しもう。

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