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23卒テレビADの就活、時系列で語ります

就活生にとって避けては通れない話題。

「就職決まった?」

人には聞きにくいし、自分でも言いにくいのに、どうしても避けるわけにはいかない話題です。
私自身、周りの就活生の状況を知ってしまうと無駄に焦ってしまう気がして、必要以上の情報を取り入れることを避けていました。
同時に、自分から就活の状況をリアルタイムで発信することも避けていました。
内定を頂くのは早いほど良いというわけでもないのに、周りの状況を知って焦るって意味無いよな、と思っていたのです。
ゼミの同期や周りの友人には公務員志望や院進学志望が多かったので、そういう意味ではとてもありがたい環境でした。

明日から4月。
晴れて社会人になることが決まった今、ここで初めて私の就活について書いてみようと思います。
少しでもどなたかの参考になれば、背中を押せれば、この上ないことです。

小学4年~大学1年:気象予報士を目指す

テレビ業界を志す人の中には、おそらく中学生や高校生の頃からずっと憧れを抱いていたという人も少なからずいるのではないかと思います。
でも、私は、小学校4年生の頃からのおよそ10年間、一途に気象予報士を目指していました。ニュースなどで見る気象キャスターではありません。実際に予報業務をする仕事です。
メディアに興味が無かったわけではないので、気象キャスターやそれに関わる仕事も考えないことはありませんでしたが、どちらかと言うとそれは「ご縁があれば」程度にしか考えていませんでした。兎にも角にも、気象予報業務に憧れを抱き続けた10年間でした。

大学も、“気象を学べること”を軸に選びました。
大学1年の時は、本気で気象予報士の勉強をしようとしていたこともありました。自分で気象予報士試験の参考書を買って、大学の勉強と並行して予報士試験の勉強を続けていました。値段も高いし分厚くて、威圧感の強すぎる参考書、3冊です。
が、予報士試験の合格率が約5%ということも知られている通り、私には難しすぎる内容でした。そのうえ、大学2年の時にコロナ禍になったことで周りの先生方や友人との交流が途絶え、環境が一変し、予報士試験の勉強どころではなくなってしまったのです。

大学2年:目標を失う

完全にオンライン授業になったことで、通学時間はなくなったものの、毎回の授業に対する課題が格段に増えました。更に、その課題を人に相談することもできず、ただただ変化していく環境についていくのが精一杯。
気付けば、気象予報士になりたいというモチベーションはどこかに消え、単位を取ることしか考えていませんでした。勉強を面白いと感じるどころか、義務としか思えなくなっていたのです。

ただ一つ、私が私のために決めたことは、自分の過去の決断に誇りを持つことでした。すなわち、それは、気象を嫌いにならないために気象予報士の勉強を辞めることです。迷いなく気象予報士への未練は捨て、ゼロから将来設計を考え直しました。この時、大学2年の秋ごろだったと思います。

気象予報士への憧れをおよそ10年持ち続けてきたことと同じように、私には長く楽しく続けてきたことがもう一つありました。放送部・放送研究会で、人前で話すことと動画を作ることでした。
まだまだ世間知らずの当時の私は、人前で話すといえばアナウンサー、動画を作るといえばテレビ局、番組制作会社、広告制作会社、広告代理店、映画制作会社くらいしか思い浮かびませんでした。
どれに対しても一貫して抱いていたイメージは、「大変そう」、そして、それを上回るくらいに「楽しそう」ということでした。

大学3年:とりあえず色々参加する

大学が主催する就活関連行事には片っ端から参加しました。
薄っすら、でも、明確に憧れを抱き始めたメディアの仕事に前のめりにはなりつつも、やはり「大変そう」というイメージがどうしても拭えず、ひとまず幅広く業界や職種を知ることにしたのです。

大学で紹介された、全8つの就活アプリに登録し、インターンに向けてひたすらエントリーシートを書きました。就活アプリの中でも頻繁に活用したのはそのうちの4つくらいです。その後新たに登録したものもありましたが。
証明写真は、大学の入学式で着た濃紺のスーツと新たに買った白のワイシャツを身にまとい、大学で紹介された写真スタジオに撮りに行きました。
これが7月。
オプションでメイクもしていただいたのでかなりよく撮れて、マイナンバーカードの証明写真にも使いました。証明写真と言うと基本的には3か月以内に撮影したものを使うのが良いとされていますが、大学の就活セミナーで外部講師の方に相談したところ、写真スタジオで撮るとお金がかかるからインターン用に撮った写真をそのまま使っても問題ないとのこと。就活が終わるまで、遠慮なく使い倒しました。もちろん、髪型を変えるなど、大幅に外見が変わった場合は写真も新しくするべきだとは思います。

結局、インターンにエントリーシートで応募したのは夏、秋を通して10社届かないくらいだったと思います。
秋ごろになると、キー局や一部の番組制作会社の採用活動が始まるので、並行して受けていました。インターンに応募して通過した会社は0社。そりゃそうです。身の程もわきまえず、大手しか受けていないんですから。それに、採用試験よりインターンの方が応募者が多い一方で合格者が少ないという傾向があるらしく、実際の採用試験より高倍率なんだとか。

インターンとまではいかない、1day仕事体験のようなものにはかなり参加しました。応募しさえすれば全員参加できる、説明会兼プチインターンのようなものです。テレビ業界、広告業界はもちろん、メーカー、小売、IT、ウエディング、ホテルなど、その数およそ20社。
数で言えば、テレビ業界、広告業界に次いで多かったのが、意外にもウエディング業界でした。
大学の授業の他、サークル活動とその準備に週5~10時間ほど掛けていたことを考えると、なかなか頑張ったと思います。アルバイトは日雇いで時々していましたが、普段はしていませんでした。
色々な業界を見て、知って、考えた結果、結局テレビ制作をやることに決めました。
やりたい、ではなく、やる。

ある時、突然、「私、テレビ番組のディレクターになる」と、母に宣言しました。
あまりの唐突さに、あの日のことを母は鮮明に覚えているそうです。

もちろん、大変なのは承知の上です。
仕事がハードなのも理解しているし、クリエイターは変わった人が多いので、人間関係で困ることがあることも理解しています。

でも、どうせ大変なら、少しでも若くて体力があるうちに挑戦しておいた方が良くない?
きっとどんな仕事も大変で、どの道を選んでも大変なら少しでもワクワクすることやりたくない?
今の時代、「もう無理!」って思ったら転職すれば良いんだし、善は急げで、やってみれば良いじゃん。

これが、数多の業界・企業の説明会や仕事体験、大学で開催されるすべての就活セミナーへの参加、自己分析、企業分析、業界分析の最終的な結論です。
ディレクターになる、というのは当時の私の決意表明。
就職活動を続けていくうちに、プロデューサーにも興味を持ち、今はADからディレクターを経てプロデューサーになることを目指しています。

ちなみに、アナウンサーを選ばなかった理由は、制作者であることにこだわりたかったからです。
アナウンサーの仕事は、言わば“媒介”だと思っています。ニュースを伝える媒介であり、プロデューサーやディレクターが作ってきた番組と視聴者を繋ぐ媒介であり、制作者ではありません。最近では、新卒でアナウンス部に採用されても他部署に異動になることや、アナウンサーでありながら番組の企画を出すということもあるようですが、それが「~ということもある」という言葉で紹介されるくらいには稀なことであるわけです。

大学4年:テレビ制作に絞って採用試験を受ける

先述の通り、キー局もいくつかは受けました。
でも、テレビ局では制作以外の部署が多くあり、仕事内容が多岐にわたります。作りたいと考えている番組像が明確にあり、番組制作の道を追求したいと考えていた私にとって、それ以外の部署に配属になる可能性があるキー局は、収入の高さや待遇の良さを差し置いても、積極的に入社したいと思える環境ではありませんでした。
加えて、キー局の新卒採用サイトを見ると、周りを探しても見つからないようなレベルの特殊な経歴の持ち主が多く、そのレベルで対等に戦えるほどの自信がなかったことも理由の一つです。

そういうわけで、私にとってキー局は記念受験。かつ、練習として受けました。本命はテレビ番組の制作会社です。
制作会社と言っても、その形態は2パターンに分けられます。“派遣型”と言って、自社に制作機能は持たず、正社員として雇用するものの、他の制作会社やテレビ局に派遣されて働くタイプの会社と、“自社制作型”と言って、自社に制作機能を持って、自社で作った番組をテレビ局に納品するタイプの会社です。中には、その両方の要素を持ち、自社制作もできるし、人脈を広げたり経験を積むために派遣もする、という会社もあります。
どちらかというと、私は自社制作型の会社が希望でした。周りの人間関係や収入が比較的安定するからです。派遣型の場合、色々な経験を積めたり、人脈を広げられたりとメリットもありますが、同じ仕事をしていても自社制作の会社と比べて収入が少ない傾向があるという点が気掛かりでした。
ただ、採用試験は、作りたい番組の方向性が一致する企業であれば、自社制作、派遣問わず受けました。自社制作か派遣かよりも、作りたい番組が作れるかを一番重視していたからです。
受けた企業は24社。常に並行して4~5社受けているという感じでした。1社落ちたら新たに1社応募するという繰り返し。
結果、大学4年の8月に、自社制作型の企業2社、派遣型の企業1社から内定を頂き、就活を終えました。6月から7月頃になってようやく最終面接までこぎつけられるようになったものの、7月まで1社も内定が無かった私が、8月に入ってからはすごい勢いで内定を頂けるので、戸惑いすらありましたが、きっと私が面接に慣れてきたのだろうと思うことにしました。

就活って、受かっても落ちても理由が分からないから、難しいんですよね。自分でおそらくこうだろうと見当をつけるしかないから。
面接官のリアクションが良くて手ごたえを感じた時は落ちていたり、反対に、「ダメだこりゃ」と思っていると受かったり。
就活を終えて思うのは、未来の同僚として本気で見られていると厳しくなって、未来のお客さんになった瞬間優しくなるんじゃないかな、という気がしています。
落とした学生に、その企業に対して悪い印象を持ってほしくはないですからね。

内定を承諾した決め手

内定を頂いてからは、どの会社の内定を承諾するかが問題でした。
問題、と言っても、最初から心の奥底では1択だったように思います。
内定を承諾した1社は、応募した全24社のうち、唯一、私が作りたいと言って提出した番組企画書の内容を面白がって、興味を持っていただけた会社なのです。
番組制作会社の採用試験では、選考過程で、将来作りたい番組の企画書の提出を求められることが多々あります。企画書の提出は無くても、面接でどんな番組を作りたいかということは必ずと言って良いほど聞かれます。
私が作りたい番組の詳細については、長くなるので割愛しますが、少なくとも、今、テレビで見ることはほとんどないテーマの番組です。今、放送されていない、つまり、需要が少ないうえに、番組として成立させることも簡単ではないという現実があります。でも、その番組を作りたいという思いが、私がテレビ制作を志した一番の理由でもあるのです。それに対して興味を持っていただけたこの会社でなら実現できるかもしれない、いや、この会社で実現したい。それが決め手でした。

就職はゴールではなく、将来の目標に近づくためのファーストステップなのです。

👔👔👔

noteの投稿を1年以上続けてきて、これまでで一番、圧倒的に長い記事になってしまいました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
あなたの就職活動が、納得のいく結果になることをお祈りしています。

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