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「会社で働く」というリスク
僕は現在、大学4年生でつい最近の3月まで約10ヶ月間という短い期間だが、大阪に本社を持つとあるベンチャー企業にお世話になっていた。雇用されていた期間が10ヶで、ろくに就職もしたことがないのに、会社やサラリーマンについて語るのは大変おこがましいことだとは思うが、それでもあえてその約10ヶ月間で感じた会社やサラリーマンについて書いていこうと思う。
そもそも、僕がこの会社に入った一番の動機は「会社という組織を知りたい」というものだった。それまでに少しだけ自分でビジネスまがいなものを行なっていたのだが、1ヶ月に扱うがくはせいぜい高くても30万円程度。一人で何事も行なっていたので、分業もなければ扱う金額や仕事の大きさも極めて小さい。
それに比べて、会社という組織の中では個人が僕の何倍、何十倍という金額を平気な顔で動かしていて、個人では到底賄えないほどの損失を出したりしている。加えて、働きに応じて毎月自動的にお金が振り込まれ、その他の福利厚生もついてくる。僕の会社の場合は、個人的に買った書籍費とスタバの代金に対して経費が出るという本好きの僕にとってはすごく有難い2つの福利厚生もついていた。
1日に何時間働いても一円も稼げない、備品などの全ての買い物が自分の財布から出ていくという「仕事と自分の財布が直結」していた僕にとって、会社というのはすごく魅力的な存在に映った。
僕を雇ったくれたベンチャー企業は、大学生のバイトでも他の社員と変わらない仕事をさせてくれた。現に、僕が簡単な研修を終えて最初に入ったチームは僕を含めて4人という少数チームで、僕がいないと困るくらいギリギリで動いていたようなチームだった。社会の社の字も知らない僕にとって、「働く」という経験はすごく楽しかったし、微力ながらも自分がいないとチームが終わるという役割が嬉しかった。
会社に入ったら、それだけに集中して極端に働こうと考えていた僕はパソコンがあればどこでも仕事ができる会社であったということもあり、土日関係なく1日に平均10時間、月に300時間は働いていた。僕の雇用は時給で給料が発生するというシステムだったが、土日や深夜も平気で働いたおかげで、大学生にしてはありえないくらいの給料をもらっていたし、相場がよくわからないが新卒3年目の方々よりも多くもらっていたと思う。
仕事が確実にあって、やればお金をもらえて、一人でやっている時では考えられないような大きな仕事を経験することができて、給料以外にも書籍やスタバなどに福利厚生がついてくる。これだけ考えれば、会社という組織に所属するというのはいいことしかない。僕の場合は、仕事も割と自分に合っており、何より周りの方々が優秀な方ばかりで、仕事は楽しいものでしかなかったのでなおさら会社に所属するというのはいいことづくしだった。
しかし、良い側面があれば悪い側面があるように、僕は時々会社に所属する怖さを体験する機会があった。その中で僕が一番最も怖いと感じたのが、「自分が作った作品が自分の作品ではなくなる」ということだった。
会社の中で僕がやっていた仕事は文書を書く仕事(セールスライティング)で、僕はひたすら文章という作品を作り続けていた。長い文章を考える時もあったし、メールに載せる短めの文書も考える時もあったが、多い時は週に10本以上の文章を作る時もあった。
大学生の僕にとっては、お金を出してでも買いたいくらいにそれだけですごく有難い経験であり、今考えればびっくりするほど恵まれていた環境だったが、その反面でいくら働いても、いくら文章を作っていても自分の元には何も残らない虚無感がどこかにあった。社内だけで見ればその文章は僕のものなのだが、社外から見ればそれは会社の文章であり、強いていうなら社長の文章であった。
この現象を学校で考えて見るのならば、小学校の図工の時間で作った作品が完成した瞬間に自分のものではなくなってしまい、学校側に回収されてしまうようなもので、それはこれからの個人の時代(多くの人が複数の職を移動したり、掛け持ったりする時代)においてはとてもリスクのあることだなとも感じた。
確かにスキルや経験、人脈というものは残るのだが、アウトプットは何一つ残らず、会社を辞めてしまったら自分のやってきた仕事を表すことができる作品がなくなってしまう...正直、月になん十万円もらっていて、それ以外に福利厚生が整っていると言っても「割りに合わない」仕事だなと感じた。
やはり、この力がどんどん高まっていく「個の時代」においては、自分を象徴するような自分の作品が何よりも大切であり、価値があると感じている。無色透明な経験やスキルも大事だが、可視化されている実物もまたすごく大事なものであると思っている。
いくら「俺にはこんな経験とスキルがある」とTwitterで言っても、多くの場合はその他大勢の情報の渦に飲み込まれてしまう。話そうと思ってもTwitterの140文字以上、Instagramの15秒以上は誰も待ってくれない。だからこそ、一瞬で見てわかる実物が重要になってくるわけで、時にその実物は自分より自分について語ってくれると思っている。
経験やスキルも大事だが、他に大事なこともたくさんある。今は何が資産になり、何が重要ななのか。10ヶ月という短い期間であったが、会社の経験は僕の作品への考え方を変えてくれた。
もしあなたが今就職活動をしているのなら、もしあなたが今企業に勤めているのなら、「会社で働く」ということをもう一度考えて見ていただきたい。多分、それはあなたの普段感じられない視座を与えてくれると思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。記事にする前にTwitterにて呟いたりもしているので、もし良かったらフォローの方もよろしくお願いします。毎日1回は、その日に学んだことや悩んでいたけどその日に解決したこと、これは真理かなと思ったことを140字かけてTweetしているので、もし良かったら一度見てみてください。
企業で少し働いてみて怖いなと1番感じたのは、「自分の作品が自分の作品ではなくなる」こと。
— タイチ・サカモト(Taichi Sakamoto) (@s_a_k_a_m_0) May 7, 2019
どれだけ仕事をやっても、実物として自分の手元には何も残らない恐ろしさと自分が無色に感じてしまう違和感。
経験もすごく大事なんだけど、自分の顔となる実物を持っているのもすごく大事な気がしてる。
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