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物が軽視される時代

「人間は、いつも周りにいる5人の平均をとったような人になるものだ」

これは、コカ・コーラやIBMなどアメリカの一流企業のコンサルタントとして活躍したアメリカの起業家であるジム・ローンの言葉です。心理学の世界でも、この事象は「ピグマリオン効果」とも呼ばれおり、ビジネスマンに限らず、学生の方でも一度は聞いたことがあるほど、とても有名な一節です。

「人間はいかに周りの環境に引っ張られるか」ということを直感的にわかりやすく表したこの言葉で、僕もこの考え方にすごく同意する部分があります。私たちにとって、周りの環境は自分にとてつもない影響を与えますし、それは特に近ければ近いほどインパクトが大きいように思えます。

しかし、僕が最近感じている違和感は「気を使わなかければならない周りの環境というのは人間だけで本当にいいのか?」ということです。これについて、少し考えていきたいと思います。

人間以外の影響

近年では、多くなりすぎた資本主義の反動からか、「お金をモノ消費に使うこと」がどこかださいみたいな風潮さえあるような感じがしていて、「物欲がない」というのがエリートの必須条件、暗黙の美徳のようにさえなっているように感じます。

スティーブ・ジョブスに代表されるように、服に関しても選ぶ時間を短縮するため、毎日同じ服を着るノームコア(normcore)が特にビジネス界では流行しており、本質的な物事・シンプルな考え方が好きな方には未だに絶大な人気を誇っています。

ノームコア(normcore)とは、ラフでカジュアルな「きわめて普通の格好」を指すファッション用語。ノーマル(noemal)と究極(hardcore)を合わせた造語。高級さや際だった感性といった「人とは違う」要素から遠ざかり、敢えて人と似たり寄ったりな変哲ない服装を選ぶ、というトレンドの流行と共に登場した語。 - 実用日本語表現辞典

勿論、これらのことが悪いと全く思いません。僕個人の見解としても贅沢なブランド志向から本質的な価値を考えるようになるということは非常にいい流れだと思いますし、無駄な判断の回数を減らすというのはすごく合理的だと思います。

しかし、その現象が流行によって一人歩きをしてしまっているせいか、「私たちが普段接している人間以外の家具や洋服や家電製品も私たちに大きな影響を与える立派な環境の一つである」という視点が抜け落ちているように感じます。

ビジネス界とは少し離れてしまいますが、「現代ホスト界の帝王」と呼ばれ、現在は実業家をされているローランドさんは自身の著作の中に、すごく刺さる言葉があったので、少しご紹介させていただきます。

「ジャージばかり着ていたら、ジャージが似合う人間になっていく」
身なりは、人を作ると思っている。(中略)その時、確信した。だらしない生活をすると、そういう生活や格好が似合う人間へと、知らないうちに変わってしまうと。
- ROLAND(『俺か俺以外か。ローランドという生き方』より引用)

個人的には、この考え方もすごく的を得ていると思っていて、特に人間を重視し、物を軽視する風潮がある現代にとってはなかなか考えさせられるような言葉だと僕は感じています。

でも、よくよく考えてみれば、ゲームが大好きな友人とつるんでいればゲームのことが好きになっていく可能性が高いように、ジャージばかり着ていたらジャージが似合う人間になっていく可能性は非常に高いのは当たり前な話でしょう。特に、洋服などはあまり注意を払われない分、潜在意識に深く影響を及ぼし、ローランドさんが言うように「知らないうちに」私たちに大きな影響を与えるように感じています。

物の重要性

そもそも、なんでこんなにも「物」が軽視されるようになってしまったのでしょうか?

これについて、僕の仮説をこれからお話ししていきます。この仮説があっているかわかりませんが、これからの「物」への考え方を考えるのに役立つと思うので、参考にしていただけると幸いです。

上記にも書いたように、現代は拡大しすぎた資本主義の反動からお金で買える物事の価値が減少しており、お金では買えない経験や思想、友人関係などの価値が非常に高まっているように感じます。プライスレスの知覚価値が異様に高まる反面、アフォーダブルの知覚価値は異様に下がっています。

そんな現在の世界での評価基準の中心には「お金」があって、お金で買える物事は「高い」か「安い」かということが真っ先に気にされます。そのため、「高いブランド品を買う人はかっこよくない」とか「安い物で生活している人はスマートだ」などの思想に辿り着いているのだと思います。

しかし、皆さんも分かる通り、物の評価基準は「高いか、安いか」だけではありません。「魅力を感じるか、感じないか」「自分の思想と合うか、合わないか」なども立派な物の評価基準であると思います。むしろ、お金が余っていく今後の世界(特に先進国)では、多くの人がこの考え方に移行していくと思っています。

過剰に上がりすぎたプライスレスな物事への知覚価値も落ち着き、アフォーダブルな物事への考え方も見直され、「値札を見ないで買う」という、今までは一握りのセレブしかできなかった買い方を多くの人が、どんどんと広がっていくように感じています。

物も含めた「こだわり」

繰り返しますが、私たちの周りにある人間以外の環境を構成する要素も、周囲の人間同様に非常に重要な環境の一部です。家の中や職場にある物、私たちが普段着ている洋服、使っている化粧品や日用品は、特にその影響が大きくなります。

なので、これからは周囲に人間も含めて、周りのものまでに注意を払うことが非常に大切になってくると思っています。「自分はどんな人間になりたいのか」「自分はどのような人生を送りたいのか」、それを付き合う人間だけを選ぶためだけでなく、周りの物の選び方にも適用することが自己実現のために必要だと見直されるようになってくると思います。

もし、服に興味がわかないのであればそれでもいいと思いますし、周りの物などのなんでもいいというのであればそれでもいいと思います。逆に、服も日用品も自分のこだわりを細部にまで宿らすこともまた素晴らしいことだと思います。これらはあくまでも、自己実現の手段でしかないので、そこをはき違えさえしなければ自分で考えてそれを体現していけばそれがベストだと思います。

私たちの内面にある思想や経験はお金では買えないですし、すごく価値がある物事だと思います。ただ、今あなたの周りにあるちょっとした小物も、あなたに大きな影響を与えていることを忘れてはいけません。「神は細部に宿る」ように、小物(細部)を軽視する人間は内面(根幹)も少しずつ崩れていくと僕は思っています。

現代社会へのアンチテーゼのようになってしまいましたが、これが少しでも多くの人の参考になれば幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

1997年の日本生まれ。