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幸せの前借り

「幸せとは何か?」

「幸せ」という壮大かつ多くの哲学者や偉人によって考えつくされ、もう僕なんかが考えても意味がないようにも感じられるほど壮大なこの問いですが、最近ふと「これかな」と直感的に感じたことがあったので、そちらをお伝えしたいと思っています。

では、単刀直入に、僕の考える「幸せ」とは...

といってもいいのですが、それだとあまりにも僕が寂しいので(一人っ子かつ溺愛して育てられたので寂しがりやです)、「抽象概念の時あるある」の辞書的な意味と偉人たちのお言葉を預かろうのコーナーに参りたいと思います。それでは、みなさん拍手でお迎えください。

♪We are the champions, my friends, And we'll keep on fighting 'til the end♪
 (Queenの「We Are The Champions」が流れる)

幸福とは、心が満ち足りていること。幸せ(しあわせ)とも。人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。 - Wikipedia
幸福とはだれもが求める目標である。そして、その特徴はそれが究極目標であること、つまりもはやそれが何かほかのものの手段にはなりえないことにある。 - アリストテレス(哲学者)
幸福とはその人間の希望と才能にかなった仕事がある状態をさす。不幸とは働くエネルギーを保ちながら、無為な状態にあることをさす。 - ナポレオン(軍人・政治家)
幸福は、平静と享楽にある。平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでもそれを楽しむことが出来る。健康で負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何を付け加えることが出来ようか。 - アダム・スミス(哲学者・倫理学者・経済学者)
幸せの三要素は、自分自身が好きであること、よい人間関係を持っていること、人や社会に貢献していることだ。 - アルフレッド・アドラー(精神科医・心理学者・社会理論家)
今が幸せかどうかなどと考えることは、まったく無意味なことです。そんなことは後になってから自然に分かってくる。 -  養老孟司(医学博士・解剖学者)
幸せになろうと思わないで下さい。幸せをつかみに行って幸せをつかんだ人は1人もいません。幸せは感じるものです。 - 坂本金八(3年B組)
金がなくても、人に堂々と幸せだと言えるのが、ほんとの幸せだ。 - 江頭秀晴(2:50)

(引用:
 Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F
【名言集】幸せとは: https://matome.naver.jp/odai/2133085742913067301?page=2 )

壮大なテーマであるがゆえに、調べてみると古代ギリシアの哲学者から現代の2:50まで幅広い方々の考え方がありました。その中には、共感するものもあれば、「そうは思わないな」と思うものまで幅広くありました。

医学博士・解剖学者で『バカの壁』の著者である養老孟司さんは「考えること自体が無駄なこと」とおっしゃっていますが、僕は今のように「幸せとは何か」ということをたまに考えてみることも好きですし、こういう抽象概念を考えることは意味があると個人的には思っています。養老さんとは話が合わなそうですね。

しかし一見、養老孟司さんと真逆のスタンスを取っているように見える僕ですが、考え方的には養老さんに一番近いです。それでは、ここから僕の主張に移っていきたいと思います。

幸せとは「苦労」である

大前提として、幸せとは過去の自分や他人と比較によってしか測れない尺度だと考えていて、ずっと幸せな状態でいることは不可能だと思っている派かつ幸せだけを感じていきているのは違うと思っている派の人間です。

ずっと幸せでいるとやがては基準が上がり、その状態が普通になるので幸せではなくなると思っています。また、無理やりにでもずっと幸せであるには、過去の自分より幸せになり続けるとが必要なのですが、それは無理な話であると個人的には思っています。捉え方によっては、常に幸せと自分を騙し続けることができなくなはないと思いますが、その自分騙しに価値はないと思っています。そのような前提を踏まえて、僕は

「現在の幸せとは、過去の苦労である」

と結論にたどり着きました。現在、幸せかどうかは過去にどれだけ苦労したかに起因しており、過去に苦労(マイナス値)にマイナスをかけてプラスにしたものがそのまま現在の幸せになると思っています。

というのも、「僕が一番幸せな瞬間はいつだろうか」と考えたときに真っ先に上がってきた答えが、「もがきながらもバーっとのぼり坂を前だけ向いて走って、ふと立ち止まり、後ろを振り返って“これもう一回はできないな”と思えた瞬間」が一番幸せだなということでした。

ゆえに、その時間の出来事を幸せだと感じることはできず、時間をおいて振り返った時に幸せはあると考えています。なので、養老孟司さんの「今が幸せかどうかなどと考えることは、まったく無意味なことです。そんなことは後になってから自然に分かってくる。」という言葉は、僕の中で非常に共感するところが多かったです。

幸せを待つ

現代では、多くの人が今この瞬間の幸せを求めすぎているような気がしています。「今、この瞬間に幸せが欲しい」、「今幸せを感じない私は不幸だ」というように、現在の幸せにとらわれすぎてるような感じがすごくしています。

個人的には、幸せは養老さん「後になってから自然に分かってくる」という待ちのスタンスが非常にあっていると思います。そして、先ほどの幸せの議論(過去にマイナスをかけたのが今)を逆説的に考えてみれば、「現在の幸せは過去の不幸になる」という察することができると思います。僕の好きな『人間万事塞翁が馬』の考え方ですね。

だから、今の幸せを無理やり追い求めることは幸せを前借りしている行為であり、無理やり幸せを見つけるというのは、未来の首を今の自分が締めてしまっている状態だと思います。苦しい時はどうしたって苦しいし、それを受け入れていくしかないと思っています。このどこか諦めているんだけど、先に希望があることを知っているポジティブな諦めが一番重要かなと思っています。

結局、「幸せとは何か」と西洋哲学的に概念とその状態を求めるよりも、「人知を尽くして天命を待つ」のように、どこか自分を超えたものに自分自身を委ねてしまうという考え方は日本人にはあっていると思います。皮肉にも、ポジティブな諦めを持っていた方が日々の日常に幸せを感じられるようになると思います。

今、幸せを感じているのであればそれをそのまま感じればいいし、今が少し辛いなと思うのであればそれは幸せがくるフリの段階なのであとはそのフリが回収されるのを待てばいいと思います。結局、人間ができることはやれることをやって待つことしかないのだと思います。

22歳になりたての若造のつまらない「幸せ論」でしたが、少しでも参考していただけると幸いです。最初はポップに行こうと思ったのですが、話がかたすぎて知らない間に自分の文書も硬くなってしまいましたが、そこは許してください笑

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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My Memo
1997年の日本生まれ。