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コンフォートゾーンから飛び出そうという覚悟。それはつまり人生を楽しむという覚悟。
楽と楽しいは違う。
昔、恩師が言ってた気がする。
現状維持の日々は楽だ。
刺激がない対価として、ストレスもあまり多くはない。
それでいい。そんな人生でいい。
納得できているのなら、僕は構わない。
だけど、僕の心が言っている。
本当にこれでいいの?って。
コンフォートゾーンを飛び出そうと、よくビジネス書で偉い人たちが言っている。
全くその通りだ。
ここに幸せはない。
楽は存在しているが、決してそれは楽しいわけじゃない。
コンフォートが苦痛になる瞬間。
それはあなたが一歩外へと踏み出す瞬間なのかもしれない。
苦しいのは誰だって嫌だ。
不要なストレスは避けたいし、サボりたい。
エネルギーを消費せずに生命を維持するのは、ある意味動物として正しい選択かもしれない。
だけど、僕たちは人間だ。
良くも悪くも人間なのだ。
楽をして飯を食えてればいい精神ではもういられない。
日々を充実させて、後悔のない人生を生きたい。
綺麗事のようなことを並べてしまう、僕らはどうしたって人間だ。
楽しく生きるために、苦痛を歓迎しよう。
むしろ喜んで、苦痛を能動的に味わいにいってやろう。
そこに何が生まれるかはわからないけど。
少なくとも、その苦痛を乗り越えた先には、苦痛から解放されたという喜びは待っているはずだから。
楽をしようとするほど退屈を感じて苦しくなる人生。
楽しみを味わおうとすると苦しみを経由しなくてはいけない設定になっている人生。
どのみち、苦しみは味わうみたいだ。
じゃあどうせなら、意味のありそうな苦しみを、前向きに味わっていこうじゃないか。
小さなことからでいい。
己に負荷を与えていく。
いつしか負荷がなくちゃ物足りなくなるかもしれない。
その負荷の先に、誰かのためという美しい動機が伴っていればなお良い。
僕は人生を楽しみたい。
だから覚悟する。
僕は苦しみを味わいたい。
見せかけだけのコンフォートゾーンを今飛び出そう。
踏み出した先の床には、「ここが本当のコンフォートゾーンです」なんて書かれていたりして。
苦しみ、上等。
ウェルカム、苦しみ。
共に苦しみ、共に人生を楽しんでいきましょう。みなさん。