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全てを自分以外のせいにして生きるくらいでちょうどいい。

休日。
会社からの電話。
無視した。
折り返しの連絡もしなかった。

なんて不真面目な人間なのだろう、社会として大丈夫なのか。
自分を責めてしまいそうにもなるけど、一歩踏みとどまってみる。

そもそも、休日に電話かけてくる会社のせいでもあるし、電話に出てあげようと思わせるような信頼関係を日頃から築けていない上司のせいでもある。
私のせいじゃない。私のせいだけじゃない。
誰かのせいにして生きるくらいでいい。
あなたが悪いわけじゃない。

生きていると、理不尽なことばかり起こる。
どれだけ入念に準備をしても事故は起こりうるし、努力の範疇の外で、平気で問題が多発する。
それをいちいち自分のせいだと追い込んでいては、心がいくらあっても持たない。
でも根が真っ直ぐで優しい人間ほど、自分を責めて苦しい思いをしてしまう。

誰かのせいにしたっていい。
そこに罪悪感が生じてしまうなら、人生であり神様のせいにして生きたっていい。

もちろん、私のせいにしてくれたって構わない。
誰かのせいにしていきなさいと、どこかのおじさんがnoteに書いていたから。
だから私は悪くない。そのおじさんが悪い。
その意気だ。その調子で、自分を責める割合を少しずつ分散していこう。

「他者の課題」という言葉をけっこう前にビジネス書とかで目にした。
それはあなたの問題ですよね?
例えば妻の機嫌が悪かったとして、それを私は自分のせいかなとか考えて胃が痛くなったりして。
冷たい言い方になるかもしれないけど、自分の機嫌くらいは自分で取れなくてはいけない。
少なくとも、そこに他者である私が責任を感じてしまう必要はない。
うまく課題を分離して、悩まなくていい部分は軽やかに受け流して生きていきたい。

全てを自分ごとに捉えてしまう私たちは、きっと心が綺麗なんだ。真っ直ぐなんだ。
だから、誰かのせいにして生きるくらいがちょうどいい。人生のせいだと嘆いて生きているくらいで、バランスが取れる。

これからも、色々なことが起きる人生なのだろう。
自分を責めることはもう辞めにしよう。

あなたのせいではない。
他の誰かのせいであり、人生のせいでもある。
全てどっかの誰かや何かのせい。
私以外のせいにして、この人生を精一杯に生き抜いてやるんだ。

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