塩を少量持ち歩くことがいかに贅沢であることか。
今から80年、90年、100年前。
たった、そんな時間の前にいた人たちにはたった一握りのお塩を含めた食べ物全てがとても貴重だった。
一握りのお塩にどれだけの人間の命や希望が救われたんだろうか。
そんなこと、私たちはすっかり忘れてしまったかのように毎日生き急いでせかせかと仕事をしたり、家族のことや、自分のことに精一杯励んでいる。
ご飯のありがたみより、効率化を求めて。
塩の味にうんぬんと文句を言って。
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私は普段魔除けのため、厄除けのために持ち歩いていたお塩があります。
量は一掴みくらいでしょうか。
お財布に入れて必ず定期的に交換をしています。
でも、お役目を捨てるときに「わたしは塩を使わず捨てるなんて、なんて贅沢なことをしてるのか」とおもう時があります。(数日持ち歩いてすっかり溶けてたりするから食べられないから仕方がないんだけど…)
なので、ある日からしっかりとお塩を見つめてありがとうの心を込めて捨てるようになりました。長く持たない方が良いなんて言われてますが、捨てる感覚も減らしました。
思い出すのは過去の日本です。
なかなかお塩が手に入らなかった頃もあります。
もし、その方たちが今タイムスリップしてきたらきっと、顔を真っ赤にさせて「なんてもったいない!貴重なものを粗末にするな!」と。頬か頭を引っ叩かれるでしょう。そして涙をながすかもしれない。
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今年も毎日、世界中のどこかで戦争がずっとつづいていて。
同じ時間のなかであまりに耐えがたい劣悪な環境になんとか生きる人もいて。
身寄りがない子どもや虐待されてたりDVを受けたり障害で働けない人もいたり。
時間軸だけが変わらない。共通の同じ世界で今を生きている私たち。
目の前の小さな生きてる実感、ありがたみの再発見や気づきができる自分であり続けたいなと改めておもいます。年でしょうか。時間をかけてようやく気付けるようになってきました。行動に繋げられるようになってきました。
けっして押し付けがましくなく。
無理にすべきとはおもわず。
ただ素直に自分の中の声に従って、魔除け用に捨てるお塩一掴みを見たときにも「今の時代に。こうしてお塩を捨てられることに感謝したい、奇跡みたいなことなんだ。」そんな感性を持ち続けて生きれたら良いなと思います。
みなさん
年の瀬、体調には気をつけてお過ごしください。
それでは。