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私が出会った世界一イイ男

彼は当時、日本人であれば誰もが知る会社の代表取締役だった。


旅先のテラスで勉強していた時のこと。

「どうして君はこんな所で勉強してるんだい?」

それが彼との出会いだった。


彼と出会った2ヶ月後、地方都市に住む私は、東京に研修に行く事になった。学生時代のクラスメイトは殆ど東京に就職していたが、会いたいと思う人はいなかった。ふと彼の事が頭に浮かんだ。頂いた名刺の宛先にメールを送った。旅先での思い出話から東京に行くこと、もう一度会いたいこと、かなりの長文になってしまった。返事なんてこないだろうと思っていたが、私の文章に負けじと長い、それはそれは素敵な言葉が送られてきた。その後、トントン拍子で食事をする事が決まった。


東京はどこも騒がしく高いビルが犇めき、空が小さくて苦手だった。夕方、安いビジネスホテルの前でボーっと立っていると黒塗りの高級車が止まった。まさか運転手付の車で迎えに来てくれるとは、田舎者の自分には考えが巡らなかった。窓が開き彼は笑顔で迎えてくれた。いつも軽自動車に乗っている私はとても緊張した。

お寿司屋さんのカウンターで改めて自己紹介し、名刺を渡した。彼は名刺を眺め、私の名前を褒めてくれた。

彼は60代の男性にしては珍しく、自慢話や若者への説教は一切なかった。私は他人に自分のことを話すのが苦手だけれど、彼の前では悩みを打ち明ける事ができた。彼はとても話を聴くのが上手だった。声の大きさ、相槌、選ぶ言葉一つ一つがとても心地良かった。もっと彼と話していたかったけれど、21時には車でビジネスホテルに戻された。

彼は私の身体に指一本触れることはなかった。

私は自分でそういうつもりはないのに、この身体つきのせいか、男性と食事をすると、性的な対象として見られてしまう。その後を期待されることに辟易していた。


彼は私を一人の人間として見てくれた。

そして、あんな風に話を聞いてもらえたことがただただ嬉しかった。もう一度彼に会いたかった。

その後、私はすぐに感謝の気持ちと彼と過ごした時間が自分にとってどんな意味があったのか、また会いたい気持ちをメールで送った。


彼と過ごした時間は常に学びの連続だった。

彼は常に素晴らしい教育者であった。


彼と公園を歩いていた時のこと。外国人が出店で買い食いし、ポイ捨てしたパックが彼の足元に転がってきた。自分なら外国人に文句を言いそうだが、彼は顔色一つ変えずに素早くゴミを拾いゴミ箱に捨てた。周囲の外国人は彼の行動をジッと見ていた。

ショッピングモールを歩いていた時。知的障害者と思われる年配の男性が話しかけてきた。私は思わず目を逸らし、無視しようとしたが、彼は笑顔で応対していた。彼は会長にも部下にもタクシーの運転手にも、私に対しても、誰にでも同じ対応だった。

彼がよく泊まる名古屋のホテルでランチをしていた時。レストランのスタッフに「君はいつも頑張っているから、アンケートに書いたからね!」と細やかに声を掛けていた。

働きながら大学院に通っている私に対して「半歩ずつでなければ、みんな付いてこれないからね」「君が得た知識はみんなのものだよ」と優しく諭してくれた。


彼から得たものは計り知れない。

一流のサービス、人を大切にすること、組織の中で気持ちよく働くこと。

私は無事に大学院を修了し、資格を取得して、管理職に出世した。


30歳も年齢の離れた男女が食事をしていると、世間はお金や身体が関係していると変な目で見る。けれどそれはとても残念なことだ。女である前に私は一人の人間だ。そんなことを考える一方で、彼の秘書はミス〇〇大学で銀座のクラブに行けば美人揃い。田舎者の私に女としての魅力を感じなかったのであろう。


私はこれからも年齢や性別、国や文化に捉われず、自分が会いたいと思う人と緩やかな交流を大切にしていきたいと思う。






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