扉の向こうはパラレルワールド
子どもの頃から空想癖があった私は、現実と物語の世界の区別がつかなかった変な子で、ちょっとした嘘つきだった。
もちろん嘘なんかじゃない。私の世界で起きている真実ではあったのだけれど、周りの大人や友だちにはそう映ってはいなかっただろう。
「そんなこと言っちゃダメ」「変なの」「噓ばっかり」
言われた言葉に何度も傷つけられた子どもの私は、いつしかその手の話を封印し、潜在意識の奥底にしまい込んでしまった。
時は流れ、その時はある日突然やってきた。
高校に入ってしばらくした頃だった。本好きの同級生が、SF作家 新井素子の「星へ行く船」というSFファンタジー小説を貸してくれたのだ。
夢中で読んだ。一気に読んだ。
彼女の小説のあとがきを読んだときの驚きは今でも鮮明に覚えている。私の幼少期の体験を同じようにしていたからだ。
私は本を読むのが大好きな子どもで、ナルニア国物語が大のお気に入り。何度も読んでは空想にふけっていた。
私の家には母の嫁入り道具のひとつである和ダンス的クローゼットがあり、そのクローゼットの奥がナルニアにつながっていると信じ、何度も行こうとトライしていた。昭和のクローゼットがナルニアに・・・なんて笑っちゃうけど、当時は真剣に行けるものだと思っていたのだ。
まさにその体験を、SF作家である新井素子もしていたのだ。私はもしかして変じゃなかったの?いや、ここにも変な人(ごめんなさい)がいたんだ!と、あったこともない小説家に、勝手にシンパシーを感じたのだ。
それからというもの、新井素子へのリスペクトから、彼女の小説を読みあさり、彼女の底なし沼的世界へと堕ちていった。
小説を読んでいる時の私は、自由な子どもに戻れたからだ。
私には「星へ行く船」の主人公、森村あゆみとそっくりな能力を持つ心友がいる。彼女にどうしても読んでもらいたくて、2~3年前になるのだが、実家の本棚に眠っていた「星へ行く船」を引っ張り出して貸したことがある。
貸した本が戻ってきたとき、数十年ぶりに読み返してみた。
何度も夢中になって読み返した当時の私を思い出しながら、「新井素子節」がちょっと気恥ずかしくもあり、懐かしくもあった。そこには、私のパラレルワールドが確かに存在していた。いや、今も存在しているのだ。
けれどなぜだか、自由な子どもに戻ることができなかった。
あの時の私はもういない、そんなさみしさを覚えたのは言うまでもない。
大人になった私は、大人になった新井素子の本を読んでみたくなり「この橋をわたって」をポチった。どんな世界がまっているのだろうかとワクワクしながら。
※ 星へ行く船(ウィキペディアより抜粋)
舞台は人類が宇宙で当たり前のように生活する未来。地球に住む森村あゆみが、家出ついでに地球を捨てて星へ行く船へ乗り込む事から話は始まる。1巻表題作「星へ行く船」は彼女のそんな家出先、船の中で起こった事件。同巻収録の短編「雨の降る星 遠い夢」は火星で水沢総合事務所(通称・やっかいごとよろず引き受け業事務所)に勤める事になった彼女の初仕事。2巻「通りすがりのレイディ」は水沢総合事務所、火星、そして宇宙に散らばった全人類を巻き込む事になる大事件。3巻「カレンダー・ガール」は勤め先の所長夫妻の新婚旅行先で起こったハプニングの顛末。4巻「逆恨みのネメシス」5巻「そして、星へ行く船」は連続している。今までに起こった事件と、あゆみの持っていた不思議な能力、そしてそれに悩む彼女の葛藤を描く。
もし、新井素子を思春期に読んだ、好きだった、懐かしいと思い出すきっかけになったのなら、ぜひ読み返して扉の向こう側を楽しんで欲しい。
そして新井素子を知らない若い世代のみなさん。ぜひ彼女の世界を体感してみてもらいたい。昭和な私と同じように、素ちゃんワールドに堕ちていくのかを語り合ってみたいから。
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パラレルキャリアをもつフリーランス助産師です。歩くパワースポットと呼ばれるくらい幸運体質な私が、妊娠/出産/子育て/女性の健康/の情報発信と日々のくらしのよしなごとをエッセイでつづっています。サポートしていただけたら最高にうれしいです!