スンとする私たちのための晩歌
よくわからないものに名前をつけると怖さが薄れる。
言葉によって自身の認知の網目に組み込まれたからだろうか。知らない場所に行くのは怖いけどGoogleマップがあれば大丈夫な気がする。青いレーダーみたいなやつのように言葉は道を指し示す。
NHK朝ドラ『虎に翼』の「スン」はまさにそんな発明だった。
既存の社会秩序に従い自分の声を押し込めること。定義してしまうと長ったらしい上に馴染みがない。
例えば、二流大学に通う男子学生が一流大学の学生に対して何も言えなくなってしまうこと。授業で生徒から笑いを引き出すためのネタにされた妻。そして何より、戦争未亡人となり「女性らしい」「妻らしい」家制度への従順さが憲法制定の場でも求められる主人公寅子。
そして私もその一人。これまで大学では好き勝手やってきた方だったのだが、休学以降急速に人の目が気になるようになった。英語の発音が気になることから始まり、グループディスカッションで初めの十分くらい空気になる、授業中に手を挙げられない。最終的に小テストにも支障をきたし始めた。
転機はインターンだったように思う。そこで「人の顔色を窺う」UIが搭載されてしまった。
インターンで求められているのは生産性のある機械である。個性も大事だが、それはすべて利益に直結する。私のアイデアはさまざまな型に嵌められ、削られ、棘も面白みもない当たり障りのない大学生が出来上がった。面白そうなものを作っても評価されないならどうでもいい。歪んだ自尊心をエンジンに知的好奇心まで失ったのはいうまでもない。
一方で大学は批判的思考のバトルグラウンドである。既存の枠組みを疑い、批判し、意見を戦わせる。先生の顔色を窺うようでは良いものはできない。ひたすら丁寧に着実に証拠を積み重ね、自分の意思を通す。時に獣の直感を用い、生活の延長線上に知を位置付ける。そんな営みであったはずだ。
スンっとした今の私にその面影はない。だが、かつての自分を取り戻そうとするのもまた大学生らしさというアカデミアの顔色を窺うこととなる。
過ぎ去る時の中で、自分を破壊しまた作り直す。それでしか存在し続けることはできないのかもしれない。
寅子もきっとまた新たな自分を作り出すだろう。娘や母、あるいは弁護士といった枠組みを超えたかけがえのないきらめきを見つけるはずだ。
スンとした私たちのなかで、このきらめきが北極星のように輝く。辿り着けなくとも目印として、いつか近づく日を願って。