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全然カッコよくない絵の話。

「絵が描けるなんてカッコいいね」「才能あるね」「センスがあっていいね」などと言っていただけることがある。自分では決して才能ある方ではないと思っているので、そう言われると嬉しい気持ちと同時に、才能ではなく努力の方が大きいのだという気持ちになる。

きっと、対外的には才能あふれると思われている方がいいに違いない。
だけど、学生時代、決して絵が上手い学生ではなかったし、今も決して絵が上手いわけではない。相変わらず人間や動植物を描くのは得意ではない。何かを参考にした模倣でしか描けないし、模倣も正確に描けるわけではない。

高校生の時、美大受験など毛ほども考えていなかったので、そういう美術的な教育はまったく受けないままでセンター試験(今の共通テスト)と論文で教育学部の美術科に合格したので、入ってからはたいそう苦労した。
デッサンのやり方も、大学に入ってから学んだし、油絵の具も大学で初めて触れた。彫刻なんてやったことなかったし、デザインも初めて学んだ。

同級生の中でも、その実力差は歴然としていて、それはそれは落ち込んだ。だけど、下手なりに絵が好きだったので、何とか食らいついて課題をこなしていく日々だった。水彩で自分の肖像を描く課題が出た時は、何度も何度も描き直して10枚以上になったし、夜中に大学の制作室に入り浸っては先輩の制作を見ながら自分も制作するようになった。
こう書くと真面目な学生のように聞こえるかもしれないが、そんなことはなく、興味のあるものだけは熱心に取り組み、他は単位がもらえるギリギリのところで何とかなっていた。バイトばかりしていたので、授業には出たり出なかったり。友達のノートを借りてテストを乗り切る迷惑な奴だった。

子供の頃から、何かをつくることは好きだった。だけど、自分には「表現したい何事か」があるわけではなかった。子供の頃から漫画やイラストを描くのは好きだったけれど、じゃあ漫画として何かを描きたいのかというとそんなものは出てこなかった。


人間に対する興味も洞察も弱く、そこから得られるものもなかった。加えて、大学生になって親元を離れてからメンタル的にも不安定だったので、それも相まって、メランコリックになってはそれをぶつけるような稚拙な表現しか出来なかった。18やそこらの中身がぺらぺらな人間が、何かを自分の中から搾り出そうとすると、そこには何かに対するコンプレックスや負の感情くらいしかなく、自分の内面が如実に出てきてしんどかった。そういう表現もあるとは思うし悪いとは言わないが、自分はそれは向いていなかった。

制作する過程で、自分の出来ないことや向いていないことを知るのは大事だと思う。そして、それに対して見切りをつけることも。

大人になってから改めて絵を描こうかなと思った時に、ゼンタングルを知った。ゼンタングルとは、紙を埋めつくすようにパターンを描いていくアート手法だ。集中して無心になって絵を描くことで、セラピーのような効果があるらしい。
それを知ってから、自分でも描いてみることにした。手を動かして集中している時間が好きだった。もともと民族的な模様や曼荼羅、メヘンディ(ヘナタトゥ)には興味があったので、そこから取り入れた柄やもともと慣れ親しんだアクリル絵の具の技法やらを組み合わせて、だんだんと自分なりのパターンや描き方が生まれて。絵の具を垂らして偶然出来た模様に、ペンで線画を描き込んでいく形が生まれて、現在に至る。


当時描いたドローイング

それは森を描くとか人物を描くとか、そういうこととは全く関係のないところにあって、気が楽だった。だけど、好きな色やモチーフは、結局自分の中にある、それまでに観察して得たデータから生まれるものなので、完全なる無関係ではないのだけれど。
絵の具を垂らして、そこに偶然生まれる模様に意味を見出していく。自分の中に描きたいものやテーマが無くても描き始められることが、当時の自分には良かったのだと思う。

今も、自分には表現したい何かや主張したいことが強くあるわけではないのだけれど、見てくれる人が、自分を見つめ直すきっかけ になるような、そういう純度の高い作品が描けたらいいなと思う。作品を見ることで、相手の中にある何事かが反応したから、その作品に惹かれるのだと思うので、そういう風に光を放つ作品が描けるようになりたい。それは表現の原点のようなものなので、基礎の基礎なのかも知れないけれど。その基礎が簡単なようで難しい。

結局、表現を出来る人に対しての憧れと、絵を描くことが好きだという、それだけの理由で絵を描いている。表現することについて、自分はずっと分からないままなのかも知れないし、いつか「これを表現したい」という大きな動機が生まれるのかも知れない。そこは未知数だけど、それはそれとして、今日もまた絵を描くのだ。
「いつか大作を思いついたら絵を描く」なんて言っていたら人生は終わってしまうかも知れないので、今日も自分に出来ることを、淡々とやり続けるしかない。

今のように販売する前、ハガキサイズの画用紙を買って、取り留めもなく絵を描いていた。その頃の荒削りな絵は、今でも手元に置いてある。自分の原点になった思い出深い作品なので、それらは今後も売るつもりはないし、今でもそっと見返している。絵の具を紙面に垂らして色が広がって、滲んで混ざり合って、そこにそうして世界が誕生した、あの時の感動を忘れないでいたい。


当時描いたドローイング




販売する予定はないそれらのドローイングを一冊にまとめました。荒削りですが見ていただけたら嬉しいです。今とはちょっと作風が違うのもまた味わいということで。


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