わかって!の看板とわかりたい!の看板を出す
躁鬱で、ADHDであることが分かって
服薬も続けているのだけど、
薬を飲むことが安定するまで
それはそれは
すごい波で不安定で
時には生きてるのが辛いくらい落ち込んで、
気づけばアイデアが湧いてやけにやる気になったり、なんていう大波がつい最近まで続いていた。
自分一人で仕事をしているのなら
誰にも迷惑をかけずに過ごせるのだけど、
仲間とやってる場合、そうもいかない。
気分が落ちている時は
何も手につかず
仕事も捗らないことが多い。
モチベーショナルもあがらないから
仲間にやる気がないんじゃないかと思われたり、
どう対応していいかどうかわからず困らせてしまう。
ある時、そのことについて話し合ってみた。
わたしの特性や病気について話したのだが、
仲間のある言葉にハッとさせられた。
そして思ったんだ。
「わたしはわかって!の看板しか出してなかった」
発達障害があるから、
躁鬱病だから、
だからできなくてしょうがない
そうやって甘えて逃げていたんだ。
発達凸凹があるから
ごめんなさい、できません。
はもちろん伝えていいことだけど、
その先に
相手はどうしてほしい?
相手の分かってほしいはどこにある?
自分のわかって!の看板だけでなく、
相手のわかって!の看板もちゃんとみなきゃ
いけないんだってこと。
どうしても努力してできないことや
変えられないことはたくさんある。
それを伝えた上で
お互いの着地点を
互いのわかって!を土俵に上げて
考えていく。
それが本当の多様性なんじゃないかなって
今は思う。
わかって!の看板と
わかりたい!の看板を出す。
それが凸凹のある人とそうでない人との
上手くやってく秘訣だと思う。
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