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個性が強いのは悪か?チームポンコツ代表としてちょっと言いたいことがある

私たちが活動するカウンセリングサロンでは、ご依頼者さんの中に、「うちの子は発達障害なんです」とい言われる方が結構な割合でいる。

ADHDだったり自閉症だったりと、症状と言われているものはさまざまだがご相談されてくる方は多い。

私は医者ではないので症状のことを細かく知っているわけでもないし、ましてやああするべき、こうするべきといったような発言は立場的にできない。
けれど私は個人的に「発達障害」って障害ではなくただの「個性」だと思っている。

時間が守れない。片付けができない。動作が多い。忘れ物が多い。過集中。コミュニケーション能力が低い。etc

こういったもの。私は全部丸ごと個性だと思っている。
その人の特徴。そんな特徴や個性が「症状」と言われる意味もましてや「障害」などとされることが理解できない。


「個性」というものを「障害」としたのはきっと一般常識や倫理観、道徳観といったようなもの。"みんな同じ”であることが正しいと、幼い頃から教育され刷り込まれてきた。みんな同じであることが当たり前で正しいので、少しでもそこから外れると"オカシイ"というレッテルを貼られる。少し外れるくらいならば"ちょっと変わった子"くらいで済むのだろうが、大きく外れると病名がつけられる。
没個性の極み。

そんなのそれこそオカシイと思う。


それらが「障害」であり「症状」であるならば、私もきっとADHDと言われているものになるだろう。
今は子供の頃ほどではないが、幼少期は時間が守れなくて大変だった。
怒られても怒られても夕方5時の門限を守れず、厳しい母親に毎日家から締め出しを食らっていた。忘れ物も酷かったし、とにかく落ち着きがなく手のかかる子供だった。

大人になった今は幼少期ほどひどくはないが、集中力のなさや落ち着きのなさはそんなに変わらない。団体に属すということもできないし、会社はもちろん外で普通に働けない。コミュ症で陰キャでただのポンコツだ。病院に行って検査したことも診断されたこともないけれど、おそらく判定されるんであろうと疑っている。


私の母もそうだったのだがお子さんのそういった個性で悩んでおられるお母さんは皆、世間の常識とか当たり前といったものを当たり前に固く強く握りしめ信じている。この仕事を始めてから気がついたことだ。


他と違うことがただの個性であるということなんて到底信じられないし、受け入れられないでいる。
私の母も子供への教育に大変力を注いでいた人だったので、それはそれは厳しい教育を受けた。とにかく皆と同じ点数をとり、時間を守り、大人しく親の言いつけを守る良いこを育てるのに必死だった。今であれば虐待と言われるような体罰も受けた。軍隊かよって今なら言うほどの。

けれど私はそんな母親の理想とは真逆の子供だった。
ことごとく真逆。今思えば大変だったろうなと思う。理想の教育をすればするほどどんどん反対方向へ、おかしな方向へ進んでいくのだから。


無理なんですよ。みんなと同じでいることなんて無理なんです。


この世の人間は全員同じではない。
誰一人として同じ人はいない。全員バラバラ。バラバラの度合いも豊かだから時には"トンデモ感"感じる場合もある。でもそれは全くおかしいことでもなんでもない。それが普通。そして一人一人にぴったりの環境や生き方がちゃんとある。

"誰かと同じ"や世間一般に正しいとされる働き方、生き方に合わすと途端におかしくなる。すっちゃかめっちゃかにとっちらかって苦しくなる。
生きることがただ苦しいだけのものになる。

なので「おかしい子代表」「チームポンコツ代表」として悩めるお母さんに言わせてもらうならば

まずその握りしめてる価値観手放して?

その握りしめているものを疑ってもらう。そこから始めてもらうしかないのだ。


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