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校則問題の本質はどこにあるのか?・小さな教育情報

最近、テレビで校則問題を取り上げる番組が多い気がします。これまでは人権侵害とか学校の管理体質とかレベルの低い学校批判ばかりでしたが、やや変化が見られます。

例えば、上記のNHKの記事を読むと「学校依存社会」というワードで保護者や世間こそが学校に校則を期待してきた、という観点も出てきています。

研究者の内田良平氏も、何もかも学校に肩代わりさせる依存性をクリアしないといけない、校則も教師の長時間労働の一つの要素になっているという主旨のコメントを寄せていました。

これはいい傾向です。

同じNHKの朝の人気情報番組「あさイチ」でも校則特集をしていました。元教員の私が見てもこれまでに比べればかなり公平な観点で進行されていました。

この番組の中で視聴者のコメントが紹介されていましたが、その中で「自由には責任が伴う」という内容の意見がありました。これこそが校則問題の本質です。

例えば、私は制服を廃止して私服でも構わないと思ってます。でも一つ条件があります。先程紹介した「自由には責任が伴う」です。

ただし、これが校則問題の本質だと言いましたが、このフレーズだけでは根本的に足りないと感じています。私はこのフレーズに以下の言葉を付け加える必要があると思います。

「責任が伴うとは本人と保護者が責任を取るということである」

そして

「責任の取り方とは停学・退学・落第を受け入れることである」

社会で許されないことは学校でも許されません。犯罪はもちろんのこと、暴力・暴言、破壊行為、授業妨害、授業中の秩序を乱す行為などは学校側の判断に従って責任を取ってもらいます。

これさえ守れるならば着てくる服も髪型も自由でOKです。学用品は必ず持ってきてもらいますが、スマホも犯罪等に使わないならば持ち込んでいいでしょう(現在は小学校でも校内外を問わず盗撮問題があることを付け加えておきます)。守れなければ停学・退学とします。

定期テストで定められた点数が取れなければもちろん落第です。戦前は落第がありました。私の91歳の父の話によれば毎年、落第生がクラスに一人はいたそうです(ショボンとしているかと思いきや年上なので威張っていたそうです)。

付け加えますが、ひと度校門の外へ出たら登下校を含めてそこからはすべて保護者の責任です。放課後の問題を学校に持ち込まないという常識を確立しましょう(現在は登下校は学校管理内とされています。これも変更すべきです)。

学校は児童・生徒に安全と秩序と適切な学習環境を提供したいからこそ校則を作るのです。それが児童・生徒の自主的な行動で可能ならば校則なんて不要です。

無論、今の校則には「いくら何でもそこまでやる必要はないだろ?」というものもあるのは事実です。しかし、その「いくら何でも」の校則だってその昔はある意味があって決められたに違いないのです。そこに思いを巡らせる思慮深さが必要でしょう。

もちろん、時代が変われば変えるべきですけどね。今の日本国憲法みたいに不磨の大典はダメですから。

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