我々はウクライナを軍事支援するべきか?
英米政府は、この「戦争」を民主主義 vs 権威主義の戦いと定義づけているようで、その民主主義の代表たるウクライナに対して、後ろから盛んにNATO諸国の尻を叩いて武器支援させたり、自分達でも武器支援やウクライナ兵の訓練を盛んに行っています。
米国と英国の武器支援は、当初は対戦車ミサイルなど市街戦用の防衛兵器が多かったようですが、主戦場が広い郊外へ移ったので、ロシアの大量の野戦砲に対抗するために、現在は高性能の自走砲や攻撃型のドローンが主体になっているようです。
ゼレンスキー大統領も当たり前のように、「あれが欲しい、これが足りない」と、外国政府に対して「強い態度」で武器支援の要求を繰り返しています。
しかし、ウクライナはいまのところNATO加盟国では無く、英米欧との正式な軍事同盟の条約も無く、もっといえば民主主義国ですらありません。いったいどこに、これほどの軍事支援をウクライナへ行う必要があるのか、その合理的な「理由」を見つける事ができません。
また、ウクライナ国民の多くは、ロシアを完全に領土から叩き出すまで、どんな犠牲を出そうとも戦いを止めない雰囲気が強いみたいです。そういう国民に対して外国から武器をどんどん供給すると、戦争の被害(戦死者と家屋や社会インフラの破壊)は増す一方です。
昔、アフリカの民族紛争(内戦であったり隣国との紛争であったり)に対して、人道的見地から、外国が武器を売るのを止めようという話がありました。武器が供給される限り戦争は終わらないし、被害はより大きくなるからです。
そういう話は、民主主義 vs 権威主義の「戦争」ではひたすら無視されているようです。