傷は癒えない
私は機能不全家庭で育っています。
私が幼少期には鬱を患っていたと思う母。異常な躾。
家にいない父。転校。
完全に社会から孤立していたと思う。
側から見たらそうは感じなかっただろうけど。
母の躾が一番ひどかった頃。
夜、布団に入れた時に「今日は怒られずに眠れた」と安心するほどだった。
毎日がサバイバル。生き残りがかかってる感じがしていました。
母の怒りは尋常じゃありません。
大声を出すことはほとんどなかったけど、徹底的に私を否定し、母が考える最悪・最低のシナリオがいつもあって、説教も1時間で終われば、いい方。
ひどい時は10~12時間。朝方5時まで続くことも度々あった。
夜になって姉妹が寝た後に始まる飲酒。
ビール缶がどんどん空いていき、ビールがなくなると箱入りの赤ワインを飲み始める。
タバコの量が増えていき、1箱空き、2箱、3箱・・・と止まることなく空いていく。
感情が昂ると叩かれ、居眠りすると叩かれ、聞き方が悪いとトイレに行くことを禁止され、お漏らししてた。
説教のきっかけはすごく些細なこと。
大体は話し方やちょっとした行動・態度がきっかけ。
あと、ほとんどの確率で説教が始まるTV番組がある。
土曜か日曜のお昼に放送していた「愛の貧乏脱出大作戦」
赤字の飲食店を有名店の方が指導して、立て直すお話。
大抵は、有名店の指導者が怒るんだけど、それが飛び火。
「あんたもそうよ」の一言がはじまりの合図。ああ、今日は夜中コースだなって。
夜中の1時になるともうすぐ父が帰ってくるかも。そしたら終わると小さな希望を抱き。
夜中の3時になるとああ、もう父は帰ってこない。誰も助けてくれない。と絶望してた。
そんな中で、父が乗るバイクのエンジン音やスピード、マンションの敷地の側溝を通る時の音と他の人が乗るバイクの違いが完璧に聞き分けられるようになってた。
父はそんな家庭の状況も知らずに、浮気を繰り返していました。
そして、母はいつもママ友たちや親戚にいかに私が手のかかる、困らせる娘かを毎回話していた。
ママ友は、また怒られたの?お母さんの言うこと、ちゃんと聞かなきゃね。と笑いながら私に声をかけてきます。
恥ずかしさ。怒られた時の苦痛。自分自身に嘘をつき、母の思う最低な人間だと認めてしまった屈辱感。
いろんな負の感情が私を支配しました。
一種の洗脳状態だったと思っています。
自己肯定感なんてあったものじゃないし、私を長時間かけて徹底して否定する。
自分がわからなくなり、自分を疑うようになり、自分を信じられなくなった。
自分自身を感じれば、おかしなことになる。矛盾が生じる。
母は正しい。ということは、私が間違っている。
心が痛い、苦しい。でも、大丈夫。
だって、わたしはママがだいすき。
わたしはまだ9さい。
この時期の状況を繰り返し考えて生きてきました。
なぜ?と繰り返し。もし〇〇だったらと何パターンも考えました。
その度に、自分を恨み、母を憎み、父を責めていました。
トラウマにもなっています。
人の怒りに触れると、頭が真っ白になって、動けない。言葉が出ない。
ひどい時は息ができない。
当時の母と同じ年齢ぐらいの女性が苦手。大体が管理職や職場での発言力などを持っている場合が多くて、NOと言えない。
そんな状況も続きました。そのまま、結婚・出産・育児。
育児・・・・・
自分の家庭環境を思い出されること。自分自身が親になったこと。
いろんな現実を突きつけられながら、いろんな感情を抱えながら、再び傷ついていく。
完治しきっていない瘡蓋が剥がされて、じんわり血が滲む。古傷が疼く。
泣き止まない子どもを抱きながら、息ができないほど泣く日もありました。
それでも、誰も待ってはくれない。
子どもたちは、無邪気なまま、ものすごいスピードで成長していく。
社会も世界もそんなこと、遠い過去の、何事でもないかのように、またものすごいスピードで時間が流れている。
夫は知らない。
機能不全家族で育った自己肯定感底辺の私が、子どもを育てることは、とてもしんどいと言うこと。
だって、私も知らなかった。
大好きな人と結婚し、可愛い子どもを授かり、夢に見ていた自分の家族を持ったのに。
苦しくて、苦しくて、苦しいだなんて。
息子には幸せになってほしい。
母のように私の気が触れておかしくなっても。
私みたいにたったひとりになっても。
自分の人生を自分で切り開いて、自分のことが大好きで、人生が楽しくて、幸せって生きていってほしい。
そうなるには、非認知能力がいるとBYBSコーチになりました。
でも、結果、私自身が救われました。
瘡蓋も古傷もほとんど癒えています。(完全にはなくなってはいません)
自分軸の子育てで家族と笑顔の夢見てた家庭にいます。