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2:19才の時の恋人と「ひと夏の経験」/山口百恵

「君は僕を愛してない」

と彼は涙を流した。

またかい。

呆れるしかない、というより、私はきみと義理で付き合っているわけで、愛してなんかない、恋愛感情すら欠片もない。
なのに月に1回、生理のようにそうやって感極まってヒステリーを起こされてもなあ。

それでも何故付き合ったか?
彼は大学の同学年で、小学生の頃に空手を習い始めたのをきっかけにして、様々な格闘技をこなす武道家だった。
趣味と話と気は合った。
善き友人になれるのは確定事項。
だけれど惚れるかと言えば、自分でも驚くくらい、全くその気になれない。
今でも不思議だ、あれは好きになっても良かった男なんだがな。

で、それでも何で交際をしていたかと言えば、付き合ってくれと言われても
「恋愛感情はない」
と何度もキッパリ断ったよ。
なのに、お試しでいいからとゴネられ続けるし、大学の同級生だから顔を合わせる頻度も高いし、話は合うからつい喋ってしまう。
最後には学校の構内で土下座までされかけたら、どうにもならない、降参した体だ。

彼は何かと私を褒める。
語彙も回数もお前フランス人かレベルだ。
髪や目がきれいだとか、独特のアンニュイさがあるとか、時々凄くエロティックに見えるとか。

当時池袋を拠点にオタクをしてた私は、そんな言葉よりも、マンガや小説、雑誌に感銘を受けていた。
だいたい、私は恋愛にそこまで求めてない。
激しい恋人よりは、ずるずると続く訳の分からない男女関係の方が居心地が良い。
それは未だに変わっていないんだよな。

目眩がしたのは僕の初めては君に捧げたいと言われたことだ。
なんだそれは、純潔を捧げるとかいつの時代の重大決心だ、だいたいお前男だろうよ。

「処女は面倒くさい」
とは、女遊びの激しいダメ男が言うフレーズだが、この童貞、めちゃくちゃ面倒くさい。
私は別に恋愛関係でなくとも行為ができる気質ではあるが、交際の体をなしていて、かつ、一応は友人としての好感度はある奴に、ここまで気が重いというのもない。
私の貞操観念は羽のように軽いが、これだけやりたくない相手も珍しい。

もううるさ過ぎるため、覚悟を決めて、乗り気でないなりできはしたが、それで想いを遂げたとか嬉し泣きされても困る。

そうやって彼にずっと、私がどう思おうが関係なしに、愛とかいうのを塗らくられた。
それは違和感しかないし、だんだんと気持ち悪くなってきた。
別れを切り出せば
「じゃあどうして僕と付き合ったの?!」
じゃあ人の面前で土下座までされて、どうすればよかったんだよ。

それでも勇気を振り絞って別れると言ってしばらくすれば、いきなり失踪して親から電話がかかってきたり、リストカットしたとか人伝にきいたり、停めてあった自分の自転車を自らのパンチや蹴り、パーツをひねってボロボロにしたり。
でもあの破壊っぷりはさすが格闘家だけあって見事だった。

結局私は彼を捨てて、別の人と付き合うことにした。
それを電話で告げると
「今から君を殺しに行くから警察呼んで待ってて!!」
と絶叫される。
…………こいつの場合本気で殺しかねん。
とりあえず向かうから、と言って電話を切り、ダッシュで彼の家に。

私がプレゼントした瀬戸物が血がついて粉々に、彼から借りて、面白かったよと感想を言った本が真っ二つに、その他あらゆるものが割れたり破れたりしていた。
そして彼の腕には切り傷が、手には血糊がついていた。

そして彼は私を見て、いきなり突き飛ばしてから、背中には壁しかない状態になってから言った。
「ねぇ?むつきさんの聞こえない方の耳って、どっちだっけ?」

そこからが記憶にない。
酒を飲んでも記憶が飛んだことがないが、素面なのに、その言葉以降から、家に帰ってきた時までが真っ白である。
ただ、無傷だったので、何とか事なきを得た。

それから彼は学校に来なくなり、やがては中退したと彼の友人から聞かされて、心底からホッとした。
1年生の10月から2年生の7月。
やたらに濃い生活だった。

今なら心理学用語やネットミームで溢れてるからわかるが、あれは
「メンヘラ彼氏と理解のある彼女くんの共依存関係」
だな。


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