一人一人の読み手に寄り添える小説を、オムニバスで。
中学時代、修学旅行で三十三間堂の千体仏を拝観した際、ガイドさんから聞いた話が、未だに記憶に残っています。
無数に並んだ仏像は、どれも同じような姿形をしているのですが、実は1つ1つ顔が異なり、探せばどこかに「自分に似た顔」があるのだとか…。
聞いた時に、何となく「いいなぁ」と思ったことを覚えています。
自分に似た顔の仏像が1つでもあれば、親近感が湧いて、普段は縁遠いお寺や仏像も「身近なもの」に感じられるのではないか、と。
その時に感じた「いいなぁ」を「目標」という形に落とし込んで書き始めた小説シリーズがあります。
オムニバス形式で思春期の男女の「人生の断片」を切り取っていくSSシリーズ「青過ぎる思春期の断片(青春断片)」です。
このシリーズでは「できるだけ様々なシチュエーション」「できるだけ様々な人格」「できるだけ様々な悩み」を取り上げて行こうと思っているのですが…
そこには「そうして数多くの『人間』を描いていけば、そのうち1つくらいは読み手の境遇と『似た』物語が生まれるかも知れない」という想いがあるからです。
人間誰しも「自分とは全く違う主人公」より「自分とどこか似た主人公」の方が共感を覚えやすいのではないでしょうか?
そして「自分と同じような悩みに苦しんでいる主人公がいる」だけで、孤独感が薄らいで、どこか救われたりするものではないでしょうか?
もちろん「境遇」が同じでも「人格」が違えば、選ぶ行動や出す答えは違ってきます。
「人格」が同じでも、ほんのわずかな「境遇」の違いが、決定的な差異に繋がることもあります。
「似た」物語は生み出せても、読み手と100%「同じ」物語を生み出すことは、きっとできないでしょう。
それでも「できる限り多く」――それこそ千体仏や五百羅漢を目指して1つ1つの物語を積み上げていくことには、意味があると思っています。
「同じ」ではなくとも「似た」物語は、これから生きる人生のヒントになり得るかも知れません。
あるいは自分と全く違う主人公の物語に「世の中にはこういう人間もいるんだ」と、新たな視点が得られるかも知れません。
…と言うか、そんな作品になれれば良いな…と、そんな野望を抱いて、今もコツコツ物語を書き続けているのです。