「作家追い」してもらうための絶対条件とは?
「別作品」まで追ってもらえるための「武器」
小説の「ファン」にはタイプが2つあることに、皆さん気づいていたでしょうか?
1つは「作品」につくファン。
そしてもう1つは「作家」につくファンです。
「作品」につくファンが追いかけるのは、あくまでその作品(シリーズ)のみ。
作者が同じでも「別の作品(シリーズ)」までは追ってくれません。
一方「作家」につくファンは、1つのシリーズが終わって新シリーズが始まっても、ずっとその作者を追いかけてくれます。
(あるいは過去作品まで遡って探してくれます。)
つまり物書きにとって「作家追いしてくれるファン」ほどありがたいものは無いのです。
■「作家追いする読者」が追うのは「作風」
前回の記事で、時代を変えるほどの爆発的ヒットに有るものは「唯一無二のオリジナリティー」だと書きましたが…
その「オリジナリティー」、何も設定やアイディアだけに宿るものではありません。
むしろ設定やアイディアだけに頼っていると、後追いの類似作品との「競争」が大変なことになります。
以前、とあるビジネス番組に出ていた実業家が、こんなことを言っていました。
「競合他社に勝つために必要なのは『真似のできない』差別化だ」と。
1つの画期的商品やサービスを生み出しても、すぐに他社に真似されてしまう…ビジネスの現場でも、エンタメコンテンツの現場でも、似たような問題は発生するものです。
そこで必要なのが「真似のできない」差別化――ライバルが真似したくてもできないオンリーワンの「武器」なのです。
「設定」や「アイディア」って、真似しようと思えば真似できてしまいますよね?(もちろん法的・倫理的な問題はありますが。)
作家にとって「真似のできないもの」と言えば、「技術」「センス」「クオリティー」…そしてそれら全部をひっくるめた「作風」です。
そもそも「作家追いをする読者」が追いかけるのもそこなのです(少なくとも自分の場合はそうです)。
他の作者と何も変わらない、個性も何も無い作家なら追いかける意味がありません。
ファンが作家を追うのは「その人にしか書けない何か」がそこにあるからなのです。
■「唯一無二の作風」を極めるための「自分探し」
バトルもので登場人物が「必殺技」「新技」を見出す時って、大概「自分探し」「自分の原点に立ち返る」パートが入りませんか?
物書きの場合も同じなのではないでしょうか?
「自分だけの武器」を見つけるために必要なのは、まず「自分がどんな物書きなのか?」を見つめ直すことです。
何が得意で、何が不得意なのか?
何が好きで、何が嫌いなのか?
作品を書く時の「クセ」のようなものがあるか?
自分だけが持っていて、他の作家が持ち得ないものとは何なのか?
そして、何を書きたくて、何を書きたくないのか?
得意なものを避けて作品作りをするのは「もったいない」ですし、不得意なものを何の対策もしないまま描くのは「無謀」です(どうしても描きたいなら「克服」が必要です)。
好きなものには筆がノリやすく、嫌いなものは筆が止まるのが人間ですから、そこを把握しないでいると妙な所で話が進まなくなります。
(逆に把握できていればプロット段階の取捨選択で「好きなものだけ盛り込む」ことも可能です。)
良いクセを伸ばせば「個性」になりますし、悪いクセは直せばクオリティーの向上に繋がります。
自分だけが持っているスキルや知識は、それこそ最強の武器――その人の固有の特殊技能となり得ます。
人間は十人十色で、作家の数だけ得意・不得意、好き・嫌いがあります。
なので、そこを見つめて「最適化」するだけでも自然とクオリティーは上がり、物書きとしての「個性」が出て来るのです。
そして、いつか物書きとして迷った時に確実に必要となるのが「何を書きたくて、何を書きたくないのか」です。
世間のニーズやトレンドを追い求めるほどに「自分」が分からなくなり、「何を書けば良いのか」「何がおもしろいのか」が分からなくなる――人間皆、そういうものなのではないでしょうか?
そんな時に自分の支えとなってくれるのが「物書きとしての原点」――「自分は何を書きたくて創作を始めたのか?」です。
この「物書きとしての軸」がしっかりしている人間は、作品の主題選びや世界観からして違ってきます。
作品作りに一貫した筋が通っていて、作家追いしていて「気持ちが良い」のです。
■「自分が見えない」なら、引き出しを増やせばいい
個人的に、駆け出しのうちは「自分を見つめる」よりも「自分の引き出しを増やす」方を優先したいと思っています。
だって、まだセンスも技術も伴わないうちに自分を見つめても、強みも長所も見つけられなくて悲しくなるばかりだと思いませんか?
まだ「自分」が未熟なうちは、新しいことにチャレンジしまくって「自分」を拡げるべきだと思うのです。
過去の記事にも書いた通り、自分は「苦手なものにも苦手意識を抱かず(苦手だということを一旦忘れて)どんどんチャレンジする」ようにしています。
そうすると、それまで苦手だと思っていたものが、意外と自分に「合っている」ことに気づいたりするのです。
自分がこれまで書いてきた作品で言うと、おそらく現在の一番人気(※当社比ならぬ当人比)はオムニバスのSSシリーズで「津籠睦月と言えばSS(短編小説)の人」くらいに思っている読者の方もいらっしゃるのではないかと思います。
ですが実は、以前はいわゆる「長編癖」に苦しめられていて、自分に「短編」が書けるなんて全く思っていませんでした。
ある時ふと「短編の書き方」を閃き、それで書いてみたところ、するっと書けてしまったのです。
それ以来「あれ?自分って、意外と短編も書けるんじゃ?」と思い始め、試行錯誤の末に少しずつ短編スキルを上げていき、現在に至ります。
そんな風に「できることを『できない』と思い込んでいる」パターンもあるので、挑みもしないうちに「これは苦手だから書けない」と思い込んでしまうのは「もったいない」です。
それは、自分で自分の可能性を狭めてしまうことになります。
(…まぁ、実際にチャレンジして「やっぱり苦手だ…」となるものも、もちろんあるわけですが…😅)
それに、チャレンジして新たなスキルを獲得できた時には、それが「自信」に繋がります。
そもそも「それまでに持っていなかったスキルを新たに獲得する」って、普通に面白くて、燃えるじゃないですか。
そして「他人が持っていないスキル」を増やせれば、それは自然と「他の作者との差別化」に繋がるのです。
■スキルが増えると「相乗効果」が現れる
これは自分が物書きとしての引き出しを増やし始めてから、改めて実感したことなのですが…
スキルというのは「単体」だけで効果を発揮するものではなく、複数持っていれば「相乗効果」で、単体だけでは出せない「新たな効果」を生むこともあるのです。
たとえば「ファンタジー」に「ミステリ」の手法を持ち込むなど、異なるジャンル・異なるスキルの組み合わせで「独自の世界観」を描いている作家さん、既にいらっしゃいますよね?
「ファンタジー」のスキルだけではそんな作品は書けませんし、「ミステリ」のスキルだけでも同様です。
複数のスキルを持ってこそ、そういう「新しい組み合わせ」「相乗効果で見たことのない世界観を描き出す」ことが可能となるのです。
スキルを増やせれば、そういう「組み合わせ」の選択肢も広がります。
(もちろん、組み合わせによっては逆に「失敗」してしまうこともあり得るので、そこは「センス」も必要になってくるわけですが…。)
1つ1つのスキルを単体で見れば「ありふれた」ものでも、組み合わせによっては「今までにない」ものを生み出せる可能性があります。
そして「スキルのかけ合わせ」もまた、「設定」や「世界観」と違い、そうそう他者には真似のできない「差別化」なのです。
(真似するにはまず「そのスキルを習得」しなければならないわけですから…。)
■「違いが分からない読者」は作家を追えない。なので…
以前、女性向け小説の歴史とトレンドの変遷を知ろうと、とある本(↓)を読んだ時のこと…
そこには、こんなことが書かれていました。
「少女小説は『作家』ではなく『シリーズ』に読者がつくと言われている」と…。
少女小説の変遷を中心に語っている本のため、このように書かれていましたが、何もこれは「少女」小説に限ったことではありません。
たとえば男性向けのラノベでも、シリーズのタイトルは覚えていても「作者の名前」は知らない・覚えていないという方、多いのではないでしょうか?
ですがその一方で「ハルキスト」のように特定の作家を追い続けるファンも存在します。
両者の違いは何なのでしょうか?単に、ラノベか一般文芸かという違いなのでしょうか?
完全なる持論ですが…自分は「ライトな読者は『シリーズ(作品)』を追い、成熟した読者は『作家』を追う」ということなのではないかと思っています。
まだ読書沼にどっぷりハマっているわけではない「ライトな」読者は、そもそも「書く人間によって『作品の面白さ』に違いが出る」ということ自体、気づいていないのではないでしょうか?
グルメ通でない人間が「誰が作ってもオムライスはオムライスでしょ」と考え、特に店も料理人も選ばず「オムライス」だけを求めるように…
「違い」に気づけない読者は「自分の好きな要素さえ入っていれば、誰が書いても同じでしょ」と考えているのではないでしょうか?
ですが、料理人の腕が違えば味に違いが出るように、小説もまた作者次第で「おもしろさ」が変わります。
さらに言えば、料理人の腕が確かなら、どんな素材でもどんな料理でも、美味しく 調理できてしまうのです。
しかし、読書経験値の低い読者は、それに気づけません。
たとえ「おもしろい小説」を見つけても、それを作者の腕によるものだとは思わず、「このジャンルだから面白いのだろう」と思い、同作者の別作品や他ジャンルには目が行かないかも知れません。
昨今、小説投稿サイトのランキングが特定のジャンルばかりで独占されてしまうのも、そういう読者傾向のせいなのかも知れません。
これは実は、読者にとっても、作家にとっても、小説界全体にとっても、非常に「もったいない」ことです。
「作家追い」してもらうためには、作者が努力するだけでなく、読者にも「よりディープな読書好き」へと「育って」もらわなければなりません。
「読者自身の問題」など、作者にはどうにもできない…と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが…
自分は「物書きにもできることはある」と思っています。
それは「読者の意識を変えること」です。
これまでにも、ちょこちょこ過去記事で「ランキング以外にも小説を探す方法はある」「数値やランキングの読み方を誤れば『おもしろい小説』は見つけられない」など、様々な角度から「読者がより広い視野で作品を選んでくれるように」働きかけていますが…
たとえわずかな可能性でも、読者の意識を変えられるなら、それで救われる作者も出て来るのではないでしょうか?
(そして読者も「小説を楽しむ目」を養えてWin-Winなのではないかと…。)
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