脳内コンペを勝ち抜いたアイディアだけ、小説化しています。
限りある時間の中で「次にどんな小説を書くか」を決める際、自分の場合、頭の中でいわゆる「コンペ」を行います。
まだ小説化していないアイディアを複数並べ、様々な視点から比較検討して「次の小説」を決めているのです。
たとえ頭の中に小説のアイディアが無限にあったとしても、全部を「小説」という「形」にするには、現実問題として時間も労力も足りません。
できることなら「一番良い」アイディアを小説にしたいと思うものではないでしょうか?
ならば、そんな複数あるアイディアの中から、実際に「どれ」を選んでいくのか…
中学・高校時代は「その時、一番“夢中”になっていたアイディア」「“好き”なアイディア」から手をつけていました。
しかし、そうやって書き始めたは良いものの、途中で行きづまって未完に終わるストーリーが後を絶ちませんでした。
思えば当時は「完結させられそうかどうか」や「小説としての完成度」など考えず、「何となく」アイディアを選び、「勢い」だけで書いていたのだと思います。
ひとつの小説を完成させるためには「たまたま思いついたアイディア」だけでは足りません。
そこからアイディアを発展させ、キャラクターを増やしたり、設定を増やしたり、プロットを組み立てていかなければなりません。
自分が今書こうとしているものは「それができるアイディアなのか?」「ちゃんと完成させられるのか?」――それをきちんと見極めなければ、書いては途中で書けなくなり、また新しい話に手をつけては途中で放り出す…ということの連続になってしまいます。
それと、小説を完結させるためには「モチベーション」が必要です。
「好き」もひとつのモチベーションではあるのですが…この「好き」という感情は、意外と長続きしなかったりするものです。
「好き」という感情のままに「勢い」だけで書き始めると、その「好き」が冷めた瞬間に、その小説に対する情熱も冷めてしまうものです。
特に長編小説は長丁場となりますので、「好き」を保つのは大変です。
「好き」以外に小説を書き続ける「理由」がある、あるいは「好き」を生み出し続けられる「何か」がある――それも小説化するアイディアを選ぶ上で重要なポイントなのではないでしょうか。
そのアイディアを選ぶための、そして小説として書き続けるための「理由」とは何か…
ひとつには、世の中のニーズ、読者を獲得できそうかどうか、です。
また、「その小説を書き上げれば、確実に物書きとしてスキルアップできる」という「習作」としての価値も、「理由」になります。
ただ、自分の場合…わりと単純に「おもしろい小説になりそうかどうか」「これまで世の中に存在しなかった小説になりそうか」という視点で決めてしまっているところがあります。
…と言うのも、そもそも自分が小説を書くモチベーションが「自分の好みのド真ん中ストライクの小説を、自分のスペック(国語力)で書く」というところにあったりするので…。
(別ブログの読者様にしか分からないネタで恐縮ですが、実はこれ、とんでもない贅沢なんです。)
幼い頃から活字中毒で、累積読書量がとんでもないことになってくると、だんだん「どんな本を読んでも新鮮味を感じられない」「先の展開が読めてしまう」「滅多なものでは心が動かない」「自分が心から『欲しい!』と思える本になかなか出会えない」という状態になってきたりするものです。
そんな状態の時、ふと気まぐれで書いてみた自作ゲームのシナリオ(←ゲーム自体は未完成です。シナリオが膨大になり過ぎて、結局「これをゲーム化するなんてムリ!」となってしまったので…。)を読み返して「この人の書いた小説を、もっと読みたい」と他人事のように思ったのが、自分が本格的に小説を書き始めたきっかけでした。
なので、ついつい次の小説を選ぶ際も「自分の読みたい小説」「津籠睦月という人間に書かせたい小説」で選びがちです…。
ただ一点、悲しいのが…自分で書いた小説だと、どうしても「サプライズやどんでん返しに引っかかれない」ことです…。
サプライズ好きなので、(コメディ含め)大概の小説に仕込むのですが…そもそもそれがちゃんと成功しているのかどうかも、作者本人には分からないのが苦しいところです。
(当たり前の話ですが「作者」は先の展開も真実も全て知っているので、サプライズになりようがないのです。)
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